1998年9月20日日曜日

おめでた西沢氏!?

19日早朝、那須サイトに向かい出発した

今回はサンマである。
やはり秋はサンマである。
サンマが頭のなかを飛び回っている頃、車が浦和料金所近くに差し掛かった。
その時、なぜか西沢氏の顔がサンマに紛れて浮かんできた。そうだ!たしかメールで週末は暇だ暇だ暇だ!を連発していた。
よし誘ってみよう!という事でさっそく携帯に電話したら。
パジャマ姿という事であったがその場で那須に行くことになった。
新幹線で昼前には那須塩原到着予定との事。
我々も昼までにサンマの買い出しをして駅まで迎えに行く事になった。
駅につく直前にもうすぐ着くとの電話をもらったので急いで駅にいったが 約束の場所にいない。
どうしたのかと思い連絡したらなんと駅そばを食っていた。
西沢氏は駅そばの前を素通りできない体質のようだ。
これからみんなで昼飯を食べようといっていたのにどうも駅そばは"べつばら"らしい
那須塩原で西沢氏を乗せ、ノビローで昼食とした。
定番のドライカレー、オムライス、ビーフサンド、ビールを食したのち サイトに到着。
2週間ぶりのサイトは何事もないように見えたが 脚立がなくなっていたのである。
小屋の裏に立てかけていただけなので、不用心であったが、またもやられてしまった。
見つけたら半殺しにしてやると心に誓った。(コワ~イ)
グリーングリーンでゆったりとお湯につかり、その後サンマパーティとなった
炭で焼くサンマは最高でたとえようがなく美味である。
西沢氏の”目黒のサンマ”の講釈付で、由紀はこの話を聞いたことがなかったらしく
妙に興味を持っていた。
翌日は那須サイトの朝を各自満喫し、パスタベースの朝食をゆったりと楽しんだ。
そのあとグリーングリーン経由でビストロイラブで昼食となった。
今回イラブでデザートを初めて頼んだがこれまた最高! 特にカボチャプリンはもう大変!
イラブを後に西沢氏を駅まで送ったが、新幹線の時間まで間があったので
どうやらその後駅そばに向かったらしい。脱帽!
ということでこの写真である。
今回サイトで撮影した集合写真のアップであるが
自らの腹の出具合を自慢するかのように見せつけている。
「どうだ!」といいたげな表情は王者の貫録さえ感じるのは私だけであろうか?
おもわず「西沢さんおめでた!?」と聞いてみたくなってしまう。

1998年9月6日日曜日

豪雨に耐えたサイト

6日早朝、那須サイトに向かい出発した
8月末に降雨量1000mmを超える大雨が那須地方を襲い
那珂川流域で多大な被害がでた
別荘地に取り残された人々もヘリで救出され、
いたるところで鉄砲水や洪水による被害が報告された
 
サイトは、はたして無事であろうか?
2~3日前まで不通であった国道4号線も全線開通ということなので
急遽、那須サイトの視察を決行した。
無事、サイトまでたどりつけるか不安である。
主要幹線道路は通れても地方道が通れるかの情報はつかめていない。
東北道は順調に走行し、矢板ICで降り国道4号を黒磯に向った。
途中、土嚢袋がところどころに見られたが、大きな被害はないようだった。
黒磯からサイトにむかう道路も大きな被害はなかったが、いよいよサイトにちかくなった
道はところどころ陥没していたりでかなり荒れていた。
思っていたよりスムーズにサイトに到着し、キャビンやデッキ、倉庫なども
無事であること確認し、ほっと胸をなでおろした。
風が吹き荒れた様に落葉が散乱し、デッキを埋め尽くしていた
周囲を観察してみるとせせらぎの両岸部がかなり荒れていた
 
その時なにか風景が物足りないなと思って良く考えてみたら

橋がなかった!

せせらぎに掛けていた巾70cm長さ1.2m手づくりの木製橋が
下流5m程のところに流され、横たわっていた。
 
意外と重たい橋をどうにか元の位置に戻し、那須サイトは復旧した。
 
しかし豪雨に匹敵する強敵が那須サイトにはいたのだ

カビである。

この高温多湿の時期、2ヶ月も締め切っていた部屋の中はカビに侵略されていたのだ。
とりあえずログハウスなので、壁紙などが真っ黒にカビに犯されるという事はなかったが
寝具などは被害を被ってしまった。
しかたないので寝具は持ち帰り、湿気取りを設置することにした。
この湿気取りは単2電池1本で2ヶ月間ファンが回り続けるというすぐれもので
1個880円也でカインズホームより6個購入し、設置したのである。
今この時もかいがいしく回っていると思うと結構頼り甲斐があるというものだ。
 
グリーングリーンや、ノビロー、渡辺葡萄園、カインズホーム、ダイユーなどにも
立寄ってみたが大きな被害はなかったようである。