那須分室

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サイトでも設計の仕事ができるのはありがたい。

ドラフター
1985年ごろ設計の仕事ではコンピュータはなく、電卓とワープロだけであった。そのためドラフターと呼ばれる製図台が必須であった。製図台には平行線と直角を書くための装置がセットされていた。図面はトレッシングペーパー(半透明の紙)に鉛筆で作図する。その時テンプレートという文字を書くプレートがあった数字と英語の溝の切れ込みがある薄い板でその溝にそって文字を書くのである。ひらがな、漢字はないので手書きになる。(定規を使って文字を書く人もいた)
書きあがった図面は原図とよばれ原図のコピーが必要な場合は第二原図といって図面業者の方に依頼する。図面業者はこのほか図面製本なども行った(余った用紙でメモ帳などもサービスで作ってくれた。)
原図から紙にコピーするときは感光紙と原図を合わせて青焼き機というものに挿入する。A0ぐらいまでは印刷可能だが一枚づつ手差しで行う必要がある。この作業は「焼く」と呼ばれたが「この原図をB1で焼いてきて!」と新人に頼んだら地下1階で原図を燃やした。というジョークがまことしやかに語られた。青焼きは青系のモノトーン印刷なので色を付ける時はマーカーまたは色鉛筆で塗り絵のようにな作業を行う。むらなく色を塗るには技術が必要であった。またマーカーなどはすぐに乾いて使えなくなってしまう事がよくあった。
マーカー
青焼き機
青焼図面

メーカーの製品情報などはカタログを本棚に詰め込んだ。カタログを更新する作業が滞りがちで10年以上前に倒産したメーカーのカタログがスペースを占領していることもよくある。参考図書や参考写真の保管も膨大なスペースが必要であった。しかも保管した写真が活用される確率は限りなく低かった。
撮りためた写真

プラニメーター

専門書、カタログ棚
積算作業では図面から定規で数量を拾う。面積は三斜といって図りたい面積を三角形に分けて算出したりした。のちにプラニメーターと呼ばれる装置が導入された。これは面積を図りたいラインにそって動かすと面積が自動的に算出されるという優れものだった。
計算は電卓のみなのでシュミレーション的な事は不可能であった。たとえば工事費の積算はまず基準単価(作業員の日当や材料単価)を設定してからそれをベースに各工種の金額を算出して最終的に全体工事費だすのであるが基準単価を変更することはやり直しを意味する。
契約書や仕様書などはワープロを利用したがこの頃はまだワープロが使われだした頃でまだ写植でも原稿を作成していた 。

通信手段は固定電話とFAXだけだった。書類を送るときは郵送である。図面は筒状の図面ケースに入れて持ち運んだ。

この時代は設計業務を行うには 製図台、青焼き機、製図道具、文具(マーカー他)、製本図面置場、カタログ、図書、写真用棚、打合、接客スペースなどそれなりの空間と道具、機械および専門業者が必須だったのである。

しかし現在ではこれらすべて、いやそれ以上のことがパソコンとスマホにネット環境があれば可能となった。
ドラフター、色塗りはパソコンのCAD、ペイントソフト、3Dソフトで描けるし、PDFデータとして出力すればプリントアウトの必要はない。図面を届ける時もメールにPDF添付でOK。
プレゼンはパワポ+プロジェクターが一般的になったので大きな図面をプリントして持ち運ぶ必要もない。
カタログはネットで最新版が閲覧、ダウンロードできる。書籍や写真もデジタル化してクラウドに保存。参考写真なども自分で撮りためる必要もなくネットで検索すればイメージ写真などは選び放題である。連絡はメールがメインだが電話は無視できないのでスマホ(携帯)は必要である。スマホは電話以外にもカメラや録音、録画などのツールとして有効だ。FAXもたまに必要になるがFAX受信、送信もパソコンで可能である。 (私はDFAXで受信し、MYFAXで送信している)
計算(積算)、文書作成などはパソコンが最も得意とする分野である。

これだけでOK

 
WIFIWALKER
パソコン

スマホ(携帯)


これで図書館でも、カフェでも、コンビニでも、公園のベンチ、車の中でも仕事ができる。
打合せも可能である。(先方が同環境の場合)
このようにインターネットを駆使して場所にとらわれないで仕事をする人をノマドワーカー(ノマドは遊牧民の意味)という。


事務所を片手で持ち運んでいるような感覚、「どこでも事務所」といってもいいかもしれない。
ITの進化により那須サイトは快適な事務所(那須分室)を兼ねる空間になった。

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