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2015年9月13日日曜日

命を守る行動をとってください。

9月10日栃木県に大雨特別警報が発表された。
数十年に一度の大雨による重大な危険が差し迫った異常事態である
と宣言されたのだ。テレビ、ラジオでは「命を守る行動をとってください。」と繰り返している。
サイトの状況は強い雨が降ったり、弱まったりといった感じであったが8日から降り続いていた。このあたりは高原で道路もほとんど舗装されておらず洪水による被害がでるとは考えにくいがサイト内のせせらぎはかなり増えていてあと30㎝ぐらいで溢れ出すぐらいになっていた。せせらぎに溜まっていた枯れ枝などは大きな幹を残してすっかり流されてきれいになっていた。




那須高原の3日間の降水量は238mmで付近に大きな被害はなかったようだが、鬼怒川の下流域である茨城県の常総地区では鬼怒川が氾濫して大きな被害をもたらした。

那須高原9/8~10の降水量(mm)

今回8日(火)朝7時過ぎにサイトに猫2匹とやってきたがサイト近くからすさまじい雨となった。
サイトに猫と荷物を運び入れるると全身びしょ濡れになってしまった。しかしこの雨はすぐに小雨になりタイミングの悪さを痛感した。
火曜は午後善養寺さんが仕事の打ち合わせでサイトにきた。地元で住宅建築を受注していてクライアントにイメージを伝えるコンテンツが欲しいとのこと。外観パース作成と合わせて内部も見せたいということで内部のウォークスルームービーを作成することになった。仕事に集中して外に出ることはなかったが翌日から雨は激しくなり10日まで続き特別警報が発表されたのだ。11日(金)には善養寺さんと再度打合せをして無事コンテンツを作成することができた。土曜は時々晴れ間が出る天気でサイトでゆっくり過ごした。
サイト内の1Fのテーブルの配置を多少変更してみた。今まではアイランドキッチンにつけるようにテーブルを配置したがこれを階段棚(テレビ)の前に移動してみた。階段棚の下の方がすこし煩雑だったのがテーブルで隠れてすっきりし、アイランドキッチンの芦野石も映える。またデッキへの出入りも余裕ができたので気に入っている。


2015年7月14日火曜日

那須岳火山防災マップ

那須岳火山防災マップ(一部抜粋)
那須岳火山防災マップ(2010/3)

サイトでたまたま那須岳火山防災マップというパンフレットを棚から見つけた。以前どこかで手に入れたもので改めてよく読んでみた。
母屋建築の契約時に火山の事が気になりビルダーの社長に茶臼岳が爆発したらこの辺はどうなるのでしょうと聞いたら爆発しても溶岩は反対側に流れるから大丈夫ですよと自信満々に言っていたのを思い出す。[2001/5/19](この防災マップが公開される前の話)
しかしこのマップによるとマグマ噴火が起きた場合火砕流は5分程度でサイト近くの二期倶楽部あたりまでやってくることがわかる。湯本、御用邸、南ヶ丘牧場、ダイユーなど主要な地域は火砕流、泥流に飲み込まれてしまうのだ。
マップ上ではサイトの位置(赤星印)はかろうじて被害想定区域外 (地形を見ると黒尾谷岳が火砕流を防いでいるように思える)になるが被害の範囲は噴火の規模により大きく変化するのでサイトが無事である保障はない。 マグマ噴火は数千年に一度を言われており1408年に中規模なマグマ噴火が起きているので次のマグマ爆発は3000年以上先の話という事になるが 約100年に一度といわれている水蒸気爆発が実際は1846年から現在までの約170年間に5回も発生している(最近の水蒸気爆発は1963年)
最近、箱根の大涌谷の火山活動が活発になり観光産業等への影響が深刻化している。昨年は御嶽山が噴火し多くの犠牲者がでた。
茶臼岳は気象庁が地震計、衛星利用測位システム(GPS)などで常時監視を行っている47活火山に含まれている。 ちなみに2014年10月23日の火山噴火予知連絡会の定例会では那須岳(茶臼岳)は「火山活動に特段の変化はなく、静穏に経過しており、噴火の兆候は認められない」噴火予報は「平常」とされた。
しかし爆発した御嶽山も直前まで「平常」だったのである。
噴火警戒レベル1の呼称は以前は「平常」であったが、2014年9月27日の御嶽山の噴火の後「安全だという誤解につながる」という声が上がり、2015年5月18日より「活火山であることに留意」に変更された
噴火警戒レベルの対象になる火山は30ヶ所で20火山がレベル1、レベル2以上は下記の通り レベル2(火口周辺規制)
吾妻山(福島県)草津白根山(群馬県)諏訪之瀬島(鹿児島県)浅間山(群馬県・長野県)御嶽山(長野県・岐阜県)阿蘇山(熊本県)
レベル3(入山規制)
新燃岳(鹿児島県・宮崎県)箱根山(神奈川県・静岡県)桜島(鹿児島県)
レベル4(避難準備)
なし
レベル5(避難)
口永良部島(鹿児島県)
(2015/7 現在)
今回も火曜から土曜早朝にかけて猫2匹とサイトにやってきた。
前半はよい天気だったが後半は台風の影響で雨が降り続いた。

2012年4月21日土曜日

エアカウンター(線量計)



カインズホームでエアカウンターという放射線測定器が4980円で売っていた
一般的な放射線測定器は数万円するがこの機器は家庭向きということでこの価格になっている
所詮おもちゃのようなものであてにならないのかもしれないがそれなりのメーカー(エステー)の製品で監修が首都大学東京の教授という事で購入してみた。
早速、測定してみる
まずはエントランスの枕木の上1mの地点で試してみる。スイッチを入れると表示窓に測定中と点滅して色々な数値が点滅しながら表示される
この数値は序所にその範囲が狭められ数分のち測定完了という表示が出て数値が確定する
数値を確定するまでに数分間測定しなければならないということである
結果は0.32μsv/h(マイクロシーベルト/時)であった
ほかにも色々な地点で測定した結果を示すと下記のようになる

ラティスフェンス内側の落ち葉 0.45μsv/h
雨どい下 0.42μsv/h
デッキ屋根あり 0.35μsv/h
デッキ屋根なし 0.35μsv/h
焚き火サークル横 0.36μsv/h
せせらぎの堰 0.32μsv/h
小屋デッキ前の落ち葉だまり 0.50μsv/h
建物内部 土間 0.17μsv/h
小屋内部 0.32μsv/h

数値をみると落ち葉に放射性物質が多く付着していると考えられる
東電の福島第一原発が水素爆発をして放射能物質が拡散したのは昨年の3月中旬でその頃サイトの木々はまだ葉がない状態であった。そのため放射能物質の一部は地面の落ち葉やシノダケの葉などに吸着したと思えるがしばらくは空気中に漂うように存在していたと考えられる
4月末頃から葉がではじめるのでその後展開した葉はまだ空気中に存在していた放射能物質を付着または気孔から吸収して昨年秋に落ち葉となり一昨年の落ち葉の上に積もった状態であろう
よって落ち葉を一箇所に集めて立入禁止のサンクチャリーをつくることによってある程度の除染ができそうである

東京に戻りエアカウンターで屋内外を測定してみるとどちらも数値が0.07μsv/h程度であった。サイトの汚染は東京の5~6倍ということになる。この数値をどう考えるか
年間外部被爆量を計算してみる
サイトで一日で家の外部に6時間、内部に18時間とした一日当たりの被曝量は
6h×0.35μsv/h+18h×0.17μsv/h=5.16μsv
東京での一日の被曝量は
0.07μsv/h*24h=1.68μsv
年間被爆量は1ミリシーベルト(1000μsv)以内がよいとされているので 年間の東京で暮らす日数をX、サイトで暮らす日数をYとすれば
X+Y=365  5.16X+1.68Y<1000という連立方程式となる
これを計算すると X <110.4..となる.
ようするに年間にサイトで110日間暮らしても1ミリシーベルト以内(内部被曝はないと仮定した場合)という事になる
現状では年間にサイトで暮らす日数は多くても50日程度なので問題はない事になる

サイトに定住するとすれば 5.16×365=1883μsv(約1.9ミリシーベルト)となってしまう
では1ミリシーベルトを超えれば健康障害がおきるのかといえばそうではないらしい
那須町の被爆についてのレポートでも記載したが 7000msv(ミリシーベルト)被曝すると100%死亡。4000msvで50%、2000msvで5%死亡すると言われていて広島、長崎の被爆者のデータから、200msv以上の被曝については被曝線量と発ガンの確率が比例していることが分かっている また400msvで多くの人が白血病になるというデータがある
これらのデータは短い時間で被曝した場合である
現状では短い期間で200ミリシーベルトを越すと発がんの確率が高くなるという事である
これは放射線が細胞の染色体を寸断するため正常な細胞分裂が出来なくなりガンになりやすくなるということであり、細胞分裂が活発な乳幼児ではさらにその確率がます
200ミリシーベルト以下はよくわからないが年間1ミリシーベルト以下では問題ないとしている
1ミリシーベルトから200ミリシーベルトはグレーゾーンといえるが 放射線以外の病気や事故の確率を考えれば乳幼児以外でグレーゾーンで神経質になる必要はないと考えている
むやみに怖がらず正しく怖がるように心がけたい。

今回は土曜に早朝、由紀とクロ、トラの二人&二匹でサイトにやってきた
土曜の昼は先週の花見の再チャレンジをした
ソメイヨシノはこの一週間で一気に満開になり最高の花見を楽しむことができた。
今回のメニュー


4/21日
朝 大谷PA
昼 花見弁当
夜 鯖の味噌煮
22日
朝 さんま定食
昼 川口PA
でした

2011年4月2日土曜日

震度6弱

3.11での那須の震度は6弱であった。
震災後、始めてサイトを訪れた
事前に善養寺さんが現地確認をしてくれて、建物自体の被害はなく棚のグラス類と額が落ちて割れていたという報告を受けていた
被害といってもとりあえずちらかったガラスのかたづけ、壊れた額の修理、モップがけなどをする程度ですんだ
周囲の建物も大きな被害はなかったようである
今回の大震災は津波による被害は甚大であったが震度の大きさから想像するより建物自体の崩壊などは少なかったように感じる
東京は震度5強であった。この震度は初体験である
その時は東京の事務所でNHKラジオを聞いていた
突然緊急地震情報のアナウンスが流れ仙台沖で大きな地震が発生、9mを越える津波がくるということであった
9mという数字に尋常ではないことが起きると思ったが仙台ということで東京への影響は少ないだろう
と思っているうちにはげしく揺れだしたので慌てて外に飛び出し道路脇の交通標識の支柱をつかんで大きな揺れに襲われている街並みをなぜか冷静に眺めていた
都市直下型がついに来たと思った
道路向かいの木造2階建ての家が異常に揺れてあわや崩壊かと思われたがなんとか踏ん張って耐えた
道路を走行中のほとんどの自動車はハザードランプをつけてしばらく道路に止まっていた
揺れが収まるとあちこちの家から人が出てきた
その後大きな余震があり、あちこちから悲鳴のような声が聞こえたが建物の崩壊や火災のような事態にはならなかった
地震発生直後はマグニチュードを7.9と発表していたがその後8.4に修正さらに8.8と修正され最終的に9.0となった
7.9と9.0のエネルギーの差は9.0÷7.9ではない
マグニチュードは指数なので計算すると7.9と9.0の差は約45倍になる。
直後の発表より45倍もでかい地震だったことになる
これは通常より複雑な形で3つの巨大な破壊が連続して発生したため
はじめ1番目の波形に注目して解析したが2、3回目の波形と総合的に再解析した結果、9・0となったらしい
この地震は津波の膨大な犠牲者、被災者と原発周辺住民の避難、孤立化そして東日本全体を放射能汚染の危険という恐怖に陥れ、風評被害、電力不足による経済活動へのダメージというとてつもない影響を与えつづけている

今回は男二人と一匹&自転車を載せてでサイトにきた
昼過ぎにユキが久々の参加で塩原の駅にやってきた
年末に小屋の鍵を壊してしまったので 事前に善養寺さんにお願いして
業者の方と小屋の鍵の下見に来てもらうことになっていた ユキを迎えにいく時間をと重なってしまい私は善養寺さんに合うことができなかったが
タツキが対応した。とりあえず応急処置をして修理の見積もりをもらうことになった

今回のメニュー
0402
朝食 大谷PA
昼食 パスタ
夕食 餃子
0403
朝食 さんまの塩焼き
でした。

2006年12月16日土曜日

布団着火


焦げ臭いにおいと薄い煙があたりを充満しはじめた。
石油ストーブをつけた時に溜まっていたほこりが燃えたのかと思っていたが
そういうレベルの煙ではない。
そう思っている間に建物内の煙を異臭は増すばかりである。
原因は布団であった。
前回一時的に日差し避けのため2Fの掛け布団を
窓際の灯具に引っ掛けていたのあるが
電気をつけたためその熱で布団が燃え出したのである。
幸い布団の一部分を燃やしたただけで大事にはいたらなかったが
灯具の熱が予想以上に暑くなるということと
布団は炎でなくても簡単に発火してしまういうことを思いしらされた。
布団を掛けた時ずり落ちないように灯具の中に押し込んだために
電球と布団が接触していたのが原因だと思われる。
ちなみに布団は表地裏地:綿100%
中わた:ポリエステル80%毛20%であった。
灯具にはこのように掛けていた。 燃えた部分


今回は3人で土曜夕方5時にサイトにやってきた。
日はすっかり短くなりこの時間でもかなり暗くなっていたが
この時期にしては暖かく過ごしやすい陽気であった。

今回のメニュー
12/16

  • 夜 炊き込みご飯
    12/17
  • 朝 焼魚
  • 昼 ペペロンチーノと豚肉のソテー
  • 夜 ビストロイラブ  

    でした。



  • 2006年3月4日土曜日

    しちりん角型ワイド





    究極のさんま焼きコンロ:しちりん角型ワイド。


    かなりしつこいがまたもやさんまの話である。
    さんまの炭火焼きにこだわり七輪→樽型コンロ→U字溝と変遷してきたわけであるが
    U字溝さんま焼きには意外な欠点があった。
    それは熱効率が悪くやたら炭を浪費するということである
    そもそもU字溝さんま焼きは目黒のさんま祭りを見て思いたったのだが
    この時U字溝は長く繋がれて大勢で焼いていたのである
    U字溝1個で焼くと横に熱が逃げてしまい効率が悪いのではないかと推測した
    やはり無難なキャンプ用コンロにしたほうがいいのかなと思っていたら
    たまたま東京の地元ホームセンターで「しちりん角型ワイド」という
    まさしくさんまを焼くための七輪を発見したのであった。
    (値段はちょっと高めで3000円くらいした)
    このしちりん角型ワイドは通常の七輪より低いので卓上炭焼きコンロとしても利用できる
    また炭をおくところが2箇所に分かれているのが特徴だ
    さっそくこのしちりん角型ワイドでさんまを焼いてみる。
    やはり七輪は効率がよく少量の炭でさんまをきれいに焼くことができた
    やっぱりさんまは七輪であった。

    今回は土曜の夕方サイトに3人でやってきた
    道には雪はほとんどなくなっていた。
    3月上旬にしては比較的過ごし易い気候であった。
    年末の大雪のためであろうかサイトの奥に立っていた枯れ木が倒れていた。
    高さは10mほどの木で根元部分から折れ裂かれている
    枯れた大木が倒れ明るくなった林床にあたらしい命が芽生えリニューアルしていく
    自然のサイクルを感じる。
    倒木した枯れ枝を切り出しサイトの流れに突き出しているコンクリート管の目隠しに利用した
    以前にも同じような作業をしたが大雨で枯れ枝が大分流されてしまったためである
    この場所が今年もホタルやオニヤンマの聖地でいて欲しいと願った。

    根元から折れる---------------雑木林内に横たわる倒木----------枯れ枝を一部利用してビオトープ
    今回のメニュー
    03/04

  • 夜 ジンギスカン 
    03/05
  • 朝 サンマ定食
  • 昼 ビーフストロガノフ
  • 夜 黒磯ラーメン 
     

    でした。
  • 2005年7月23日土曜日

    震度5強

    震度5強の地震が東京を襲った
    死者や家屋の倒壊などはなく
    目に見える被害はほとんどなかったが地震による保守点検作業のため
    一時東京の交通はマヒした。
    その時私と由紀は那須サイトにいて揺れは感じなかったが
    タツキは江戸川区でサッカーの試合に出場していて
    試合は中断となり一時非難したそうである。
    その後那須に来るため東京駅にきたが
    交通網混乱状態の東京駅は異常に混雑し切符を購入するのに
    1時間以上かかったとのことであった。
    今回東京を襲った地震のマグニチュードは6.0
    ちなみに関東大震災のマグニチュードは7.9でエネルギーとしては
    今回の地震の約1000倍にあたるらしい。想像するだけで恐ろしい
    関東大震災クラスの大地震は関東では約200年に一度の周期といわれているので
    これが正しければ今度このような大地震がくるのは2100年以降となる
    しかしこれより規模の小さなマグニチュード7.0程度の直下型はいつきてもおかしくないらしい
    マグニチュードは1増えるとエネルギーは約33倍となる
    今回の30倍以上パワーのある地震がきたら明らかに交通マヒ程度ではすまない

    ちなみに那須では地震より茶臼岳の噴火が気になる
    噴火によるハザードマップがあるが
    これによるとサイトは土石流などの被害想定区域からはかろうじて外れている
    しかし決して安心できるものではない

    ということで今回はユキと二人で土曜の夕方サイトにやってきた。
    夕食は二人で黒磯に行き新規の店を開拓することにした。
    車でウロウロしているうちにキムチ、七輪焼という文字がユキの目にとまり
    そこに決めた
    店の中は普通の住宅を焼肉屋に改造したようなイメージで
    私たちは4畳半ほどの和室に通された
    和室には天井からいかつい換気ダクトが吊り下げられ異様な雰囲気であった。
    やがて真っ赤に燃えた炭が入れられた七輪がテーブルの上におかれた
    この七輪は通常の形態より口が広く、背丈が低いものであった。
    キムチ、肉、野菜を一通り頼み2時間ほどかけてたいらげる。
    結構うまかった。二人で6000円也ということでコストパフォーマンスもなかなかいい。
    すっかり満足してから夜10時過ぎにタツキを那須塩原まで向かい行く。
    タツキは地震騒動でかなりお疲れのようであった。

    翌日は午前中はフライを少し楽しみ
    昼は餃子づくりでビールを目いっぱい楽しんでしまった。
    昼食後はアルコールを抜くためたっぷり昼寝をする
    極楽生活である。

    夜は毎度の黒磯ラーメンとる。
    8時過ぎに黒磯を出発し矢板から高速にのり久喜でツバメ返し
    東京には11時前に到着した。

    今回のメニュー
    7/23

  • 昼 羽生PA
  • 夜 黒磯の焼肉屋 
    7/24
  • 朝 焼き魚定食
  • 昼 餃子
  • 夜 黒磯ラーメン 

    でした。
  • 1998年9月6日日曜日

    豪雨に耐えたサイト

    6日早朝、那須サイトに向かい出発した
    8月末に降雨量1000mmを超える大雨が那須地方を襲い
    那珂川流域で多大な被害がでた
    別荘地に取り残された人々もヘリで救出され、
    いたるところで鉄砲水や洪水による被害が報告された
     
    サイトは、はたして無事であろうか?
    2~3日前まで不通であった国道4号線も全線開通ということなので
    急遽、那須サイトの視察を決行した。
    無事、サイトまでたどりつけるか不安である。
    主要幹線道路は通れても地方道が通れるかの情報はつかめていない。
    東北道は順調に走行し、矢板ICで降り国道4号を黒磯に向った。
    途中、土嚢袋がところどころに見られたが、大きな被害はないようだった。
    黒磯からサイトにむかう道路も大きな被害はなかったが、いよいよサイトにちかくなった
    道はところどころ陥没していたりでかなり荒れていた。
    思っていたよりスムーズにサイトに到着し、キャビンやデッキ、倉庫なども
    無事であること確認し、ほっと胸をなでおろした。
    風が吹き荒れた様に落葉が散乱し、デッキを埋め尽くしていた
    周囲を観察してみるとせせらぎの両岸部がかなり荒れていた
     
    その時なにか風景が物足りないなと思って良く考えてみたら

    橋がなかった!

    せせらぎに掛けていた巾70cm長さ1.2m手づくりの木製橋が
    下流5m程のところに流され、横たわっていた。
     
    意外と重たい橋をどうにか元の位置に戻し、那須サイトは復旧した。
     
    しかし豪雨に匹敵する強敵が那須サイトにはいたのだ

    カビである。

    この高温多湿の時期、2ヶ月も締め切っていた部屋の中はカビに侵略されていたのだ。
    とりあえずログハウスなので、壁紙などが真っ黒にカビに犯されるという事はなかったが
    寝具などは被害を被ってしまった。
    しかたないので寝具は持ち帰り、湿気取りを設置することにした。
    この湿気取りは単2電池1本で2ヶ月間ファンが回り続けるというすぐれもので
    1個880円也でカインズホームより6個購入し、設置したのである。
    今この時もかいがいしく回っていると思うと結構頼り甲斐があるというものだ。
     
    グリーングリーンや、ノビロー、渡辺葡萄園、カインズホーム、ダイユーなどにも
    立寄ってみたが大きな被害はなかったようである。