2000年3月25日土曜日

深雪からの脱出



雪国となったサイト
那須にもそろそろ 行って見ようかということで、約3カ月ぶりに那須サイトに向かった。
東京はすっかり春。 もうすぐ花見だな
ていう感じである。 いつものように土曜の朝 東北自動車道で那須塩原ICに向かった。
天気は上々! 那須の草原でたつきとサッカーでもやろうかと思い
組み立て式のミニゴールまで持ち込んでいたのである。

なんか変だな!と思ったのは高速を降りてからであった。
やたら屋根に 雪を積み上げた車とすれちがったのである。
当たりには雪らしきものはまったくない。
あの車はどこから来たのかなと不思議に思っていたら
またもや同じように屋根に 雪を積み上げた車とすれちがったのである。
いったいどういう事か理解できなかったのであるが サイトに近付くにつれ辺りがほんのり白くなってきた。
最近、雪が降ったのかな?とおもい那珂川をわたる頃から道路にも雪が積もりはじめ、雪 自体も舞始めていた。
そしてサイトについた時はまさしく雪国とかしていたのである。
高速を降りたときには想像も出来なかった銀一色の世界である。

サイトの屋根、デッキ、テーブルなどはうず高く 雪が積もっていた。
今年は都内では雪がほとんど降らなかったので たつきは大喜びである。
早速ゆきだるまをつくることになった。
雪玉をつくり転がしながら大きくして造る方法がとても気に入ったらしく
かなり興奮気味のうちにバケツを帽子替りにしたゆきだるまは完成した。
サッカーをしようとしていた野原は雪原になっていた。
誰にも踏み荒らされていない
真っ白な雪原に足跡で大きく字を描いて遊んだ。

グリーングリーンへのアプローチも雪道のためチェーンをつける必要があった。
911という車はRRのためか雪道のような滑りやすい路面でも上りは結構強い。
チェーンさえ着けていれば登坂能力は4駆並である。
しかし下り坂はかなりというかすさまじく恐い。
おしりが重たい為簡単にスピンしてしまう。
かなづちの重たい方を上にして板の上を滑り落す感覚なのである。
ともあれ下りさえ 超慎重運転すれば雪道には強い車である。

夕食は黒磯市内のビストロイラブで食事したが
驚いた事に黒磯市内は雪がほとんど降っていないのである。
サイトから車で20分たらづの距離であるが別世界なのだ。
山の天気と里の天気はこんなにも違うものかと感心してしまった。
夜は再び雪国のサイトに戻った。
雪がまた降りはじめた。

翌朝は想像を越えた雪景色になっていた。
雪はひざ高付近まで積もり、雪が積もった枝はその重さで地面近くまで垂れ下がっていた。
幸いにも雪はやみ始めだんだん明るくなってきていたが これじゃ車が出せないかもしれない。
しかたないので垂れ下がった枝の雪をはらい、舗装道路までの道の雪かきをするはめになった。
日曜の早朝から重労働である。
帰りの仕度をして祈るような気持ちでエンジンをかけ、クラッチをつないだ。
タイヤにチェーンをまいた911はこの深雪を
ラッセル車のごとく掻き分けゆっくりと前進してくれたのである。
そしてなにごともないように舗装道路までたどり着くことができた。

ほんとに911は頼りになる車である。
それからは雪道を慎重にドライブして黒磯市でチェーンをとり、
ガソリンスタンドで雪で汚れきった911を洗車し、
帰路についた。

1999年12月12日日曜日

薄化粧のサイト



薄化粧のサイト
今回はサイトへは直行しないで以前から気になっていたツインリンク茂木に立寄った。
ホンダがポスト鈴鹿としてインディカーレース可能なオーバルコースと
F1サーキットコースの二つコースを併せ持つツインリンクのモタースポーツテーマパークなのだ。
思っていたより結構楽しめる施設でゴーカートで本物のインディオーバルコースを走ったり
博物館で"世界のお尻"(昔の2輪レーサーのリアビュー)を堪能した。
カートの素人レースも出来るので仲間同士でやったら絶対に楽しめそうだ。
洒落たホテルもあり、料理もリーズナブルで◎なのだ。
ツインリンクを昼過ぎに出て那須サイトにむかった。
約二時間ほどでサイトについたがなんと雪が舞い始めていたのである。
道の淵にも最近降ったと思われる雪があって、
那須はやっぱり避暑地であり、東京より寒い場所なのだと実感した。
雪の中ではさすがにアウトドアではきびしく
キャビンの中で鍋料理を楽しみ暖をとった。
翌朝は一面真っ白になっていた。
朝は路面が凍結していたが昼前には大分解け始めていた。
昼前に前回から利用しはじめた那須塩原IC近くの大鷹の湯に立寄り
2時には東陽町に戻った。

1999年11月27日土曜日

初冬の落ち葉焚き

今回は初冬の那須を楽しむがメインテーマである。
屋台風蚊帳付タープにより快適なリビングを確保できたし
サイトでの作業も一段落したので
のんびり落ち葉焚きと洒落込んだ。
タツキが落ち葉焚きの落ち葉をかき集め
ダンボールを火付けにしてログサークルで燃やした。
落ち葉はモクモクと灰色の煙を巻き上げどんどん燃えていく。
焚き火なんてなにもめずらしい事ではないけれど
タツキにはかなりエキサイティングなイベントのようだった。
確かに東京で落ち葉焚きなどはしたくてもできないのが現状だ。
当たり前のことができる歓びをちょっぴり感じてしまう。
ということでタイムスケジュールはまたまた毎度おなじみの土曜早朝出発で、
日曜昼には西那須野ICにはいりPM2:00過ぎには東陽町に着いた。

1999年11月14日日曜日

屋台は最高!



"屋台で楽しむ"の絵。
今回は赤デッキの防寒対策がメインテーマである。
蚊帳付タープは快適であるが朝夕の冷え込みがきびしくなってきた。
この時期ではさすがに寒風がピューピュー吹抜けてしまう。
そこで農家が使うような霜除けのビニールシート(140円/m)を14mほど買い込み、
タープの廻りのメッシュ部分に張り付けた。
うまくできるか自信がなかったが石油ストーブと七輪のコンロ兼暖房を装備した赤デッキは、
なんだか冬場の屋台のようで思ったより快適な空間ができあがったのだ。
これなら極寒の1、2月にも挑戦できそうである。
という訳で里芋の七輪焼きなどを頂きながら初冬の屋台を楽しんだのである。
話は変わるが前回渡辺葡萄園のヌーボーをレポートしたが
赤が大変おいしかったので再び訪れた。
するときれいに 透きとおった白があるではないか!
今年の白はてっきり全部にごり酒風に白濁しているのかと思い込んでいたがそうではないようである。
聞いてみると 普通は白濁のワインを透明にするための処理をするらしいのだが
前回は造りたてでその処理をしてなかったらしい。
また白濁のワインを好む人もたまにいるので処理をしてない白濁のワインもおいてあった。
さらに透明の白ワインには甘口と辛口の2種類があった。
私は今まで甘口と辛口は原料のぶどうの品種が違うのだと思い込んでいたのだがそれは間違っていた。
甘口と辛口の差は発酵させる時間の差であってぶどうの品種は同じらしい。
赤2本と甘口と辛口の白ワインを1本づつ買った。
ということでタイムスケジュールは毎度おなじみの土曜早朝出発で、
日曜昼には西那須野ICにはいりPM2:00には東陽町に着いた。

1999年10月23日土曜日

'99那須ワインはにごり酒?

今回は那須ワインのヌーボーを堪能するのがメインテーマである。
いつものように土曜早朝出発した。
この時期は日本人は「もみじ狩」という季節行事に熱中するようで
東北道は結構渋滞気味であった。
それでも10時ごろには渡辺葡萄園に着いた。 10月20日にヌーボーが瓶詰めされるとの情報を
前回聞いていので 早々手に入れるためだ。
白ワインは瓶詰めされていたが、赤は今日の午後に瓶詰めするので今はないとのことだったので
とりあえず白を2本購入した(1350円/本)。
その後、カインズホームでサイトのエントランスサイン製作のための塗料他を購入し
途中、ジーパン屋によってからサイトに向かった。
サイトはすっかり秋めいていたが、紅葉にはまだ少し早いようだ。
ありあわせの木材を利用してエントランスサインを製作した。
それなりのデザインでまとまったので満足している。
あとはお決まりのグリーングリーンでくつろぎ、
夜はサイトでにごり酒のように
白濁した独特な味わいの白ワインを飲み、七輪鍋を食した。
翌日は10時ごろサイトを出発し、グリーングリーンの朝風呂のあと
ふたたび渡辺葡萄園に立ち寄り昨日購入できなかった赤ワインを手に入れた。
12時過ぎには高速に乗り、2時過ぎには東陽町に戻った。
その日の夜はまるほのメンバーが我が家に集まりヌーボーパーティとなった。


渡辺葡萄園にて

1999年10月10日日曜日

ログサークル出現!

今回は3連休、前回のさんまがあまりにもうまかったので
今回もやはりサンマである
板長西沢氏参加のサンマである。
当然七輪のサンマである。
という分けで前回より”さらにうまいサンマを食そう!”
というのが今回のメインテーマだ!
西澤氏とは那須塩原の駅に土曜午後4時に向えに行くことになっている。
それまでに我々は布団丸洗い乾燥という一大イベントを慣行することとなった。
なにしろ湿気の多い那須サイトに2年間おいてある布団である。
いつか丸洗い乾燥したいと思っていたのだが
前日、ダイユーのそばに我々が待ち望んでいた
「布団丸洗い乾燥」ができるコインランドリーがオープンしたのだ。
洗い時間50分、乾燥時間1時間で湿っぽく、ペチャンコ状態の布団が
ふんわり、フワフワ状態の布団に変身した。
コストは全部で3500円也(内訳は寝袋3袋、毛布2枚)であった。
予定どおり西澤氏をピックアップし、食材を仕入れサンマ状態となった。
実は今回はサンマ以外にも「芋の子汁」という
究極のメニューを板長は提供してくれた。
サトイモがベースのこの鍋はもう大変な代物であった。
さらに、この日は「なまら塩」という幻しの塩を入手し
まさしく食の秋満喫状態となった。
日曜午前中はログサークルの製作となった。
以前から気になっていた倉庫裏というか
サイトの入口正面に積み上げていた丸太がコケむしてきていた。
すでに2年近く放置しており
スギ丸太のため薪にも出来ず使い道を考えあぐねていたのだ。
どうにかしなくてはと思い
なんとなく丸太を腰かけがわりにサークル状に並べ
中央をファイヤープレースにしてみようと思いたち、
さっそく作業に取り掛かった。
西沢氏とタツキも手伝ってくれたおかげで
思ったより早く出来上がった。
また、サークルの中央にはコンクリートブロックを
埋め込み薪を乗せる場所も作った。
サイト全体のシンボルのようになったので満足している。
午後はハセニイ一家と八幡野で待ち合わせする事
になっていたのでそこに向かった。
しかしハセニイ一家は途中高速が渋滞で
那須行きを断念し引き返すとの連絡がはいった。
ハセニイ一家と合流できずに残念であったが
八幡野で那須連山の絶景を楽しみ那須ワインで乾杯した。
食事の後は近くのホテルの露天風呂を堪能し、
観光客でド渋滞している那須街道を尻目に裏道でサイトに戻った。
夜はログサークルに火入れをし、バーボンを片手に炎を眺めて
那須の夜を楽しんだのである。
翌日は渋滞を避けるため朝風呂をグリーングリーンで楽しみ
昼前には那須塩原から高速にのり午後2時前には帰宅した。

---------------八幡原からの那須連山-------------------

1999年9月25日土曜日

やっぱりサンマは七輪なのだ。

今回は普段とちょい違うパターンでスタートした。
仕事で参加できない由紀の代わりに鯨井君を
王子駅でピックアップして那須に向かう「予定」であった。
しかしその「予定」は初っぱなから大幅に狂ってしまった。
由紀に見送られ6時に家の前をスタートしたその時、
助手席の閉められていたはずのドアが突然開放され、
運悪くガードレールの支柱にドアの取手部分が当たってしまった。
タツキが乗る時にしっかり閉じていなかったのが原因だが
運転手が確認しないでスタートさせたのもまずかった。
このアクシデントのためなんと、板金工事をを施したばかりの
911のドアが締まらなくなってしまった。911でなくとも
こんな状態ではとうてい高速など走れるわけもなく
あえなく今回の那須行きは延期せざるを得ないと思い、
王子駅で待つ鯨井携帯に「予定」中止の連絡をいれた。
せっかくの土曜に早起きをして王子駅で待っていた
鯨井君は「予定」中止じゃおさまらない模様で、とりあえず
東陽町で会うことになった。
鯨井君が7時過ぎに東陽町を訪れた。「予定」が急遽つぶれた
土曜日の早朝、今日は何をしようか?と考えていたが、天気が
憎たらしいほど、おいでおいでと招いていたこともあって、
どうにか、やっぱり、どうしても、那須に行きたい!!ということになり
ドアが壊れた911で鯨井君の家までヒイコラ、恐る恐る出向き、
蕨発、鯨井車で那須に向かうという究極の「プラン」と相成った。
911のドアが壊れてから6時間後、われらは新「プラン」に基づき
黒磯のカインズホームにいた。「予定」より大幅に遅れてしまったが、
その後、那須ではテラスを製作する「プラン」もあった。
コンクリートブロック48個、洗い砂150kg、さらに3mの角材を2本買占め、
ユーザーサービス用のカインズ軽トラでサイトへ運んだ。
3m2ほどのポーションを1時間ほどで敷詰めテラスは完成した。
今回は鯨井君とタツキの3人ぽっちの「プラン」と思いこんでいたら
夕刻、ハセニイ家が登場したのでサイトは一気に賑やかになった
イタルくんも大きくなってヨチヨチ歩き状態。タツキとミイちゃんは
もうベタベタ状態二人きりで小屋の中に入り浸り、何しているかわからない
状態になっていた。まあ、その辺は若い二人に任せておいて
一同、新規導入の七輪で秋刀魚の儀を快適なサイトで思う存分楽しんだ。
ハセニイ達は夜晩くに桶川に帰った。
もう那須は秋である。