2011年4月2日土曜日

震度6弱

3.11での那須の震度は6弱であった。
震災後、始めてサイトを訪れた
事前に善養寺さんが現地確認をしてくれて、建物自体の被害はなく棚のグラス類と額が落ちて割れていたという報告を受けていた
被害といってもとりあえずちらかったガラスのかたづけ、壊れた額の修理、モップがけなどをする程度ですんだ
周囲の建物も大きな被害はなかったようである
今回の大震災は津波による被害は甚大であったが震度の大きさから想像するより建物自体の崩壊などは少なかったように感じる
東京は震度5強であった。この震度は初体験である
その時は東京の事務所でNHKラジオを聞いていた
突然緊急地震情報のアナウンスが流れ仙台沖で大きな地震が発生、9mを越える津波がくるということであった
9mという数字に尋常ではないことが起きると思ったが仙台ということで東京への影響は少ないだろう
と思っているうちにはげしく揺れだしたので慌てて外に飛び出し道路脇の交通標識の支柱をつかんで大きな揺れに襲われている街並みをなぜか冷静に眺めていた
都市直下型がついに来たと思った
道路向かいの木造2階建ての家が異常に揺れてあわや崩壊かと思われたがなんとか踏ん張って耐えた
道路を走行中のほとんどの自動車はハザードランプをつけてしばらく道路に止まっていた
揺れが収まるとあちこちの家から人が出てきた
その後大きな余震があり、あちこちから悲鳴のような声が聞こえたが建物の崩壊や火災のような事態にはならなかった
地震発生直後はマグニチュードを7.9と発表していたがその後8.4に修正さらに8.8と修正され最終的に9.0となった
7.9と9.0のエネルギーの差は9.0÷7.9ではない
マグニチュードは指数なので計算すると7.9と9.0の差は約45倍になる。
直後の発表より45倍もでかい地震だったことになる
これは通常より複雑な形で3つの巨大な破壊が連続して発生したため
はじめ1番目の波形に注目して解析したが2、3回目の波形と総合的に再解析した結果、9・0となったらしい
この地震は津波の膨大な犠牲者、被災者と原発周辺住民の避難、孤立化そして東日本全体を放射能汚染の危険という恐怖に陥れ、風評被害、電力不足による経済活動へのダメージというとてつもない影響を与えつづけている

今回は男二人と一匹&自転車を載せてでサイトにきた
昼過ぎにユキが久々の参加で塩原の駅にやってきた
年末に小屋の鍵を壊してしまったので 事前に善養寺さんにお願いして
業者の方と小屋の鍵の下見に来てもらうことになっていた ユキを迎えにいく時間をと重なってしまい私は善養寺さんに合うことができなかったが
タツキが対応した。とりあえず応急処置をして修理の見積もりをもらうことになった

今回のメニュー
0402
朝食 大谷PA
昼食 パスタ
夕食 餃子
0403
朝食 さんまの塩焼き
でした。

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