2001年12月22日土曜日

雪明りの土星観察

それは確かに輪にみえた。
わずかにぼやけた物体であったが淡い光の点の周りを囲むように
楕円のリンク状に輝いていた。
東の空。オリオン座の上に輝いている1等星を反射望遠鏡で覗く
倍率は125倍。生まれて初めてみた土星の輪である。
月も半月で観察には絶好のタイミングであった。真横からの太陽光により
クレーターのデコボコがハッキリ、クッキリと映し出された。

今回は金曜夜から佐藤ファミリー+守屋ファミリー総勢6人がパジェロに乗り込み
那須に向かった。サイトに着いたのは夜10時過ぎであったが
なんとあたりは今まで見た事もないほど大雪状態で倉庫の屋根に積もった雪は
軒を回り込むように巻き込んでいて芸術的な造型となっていた。
この大雪国状態で子供たちは大興奮状態たなりすぐ寝かせるつもりが
大分夜更かしをすることになった。
翌朝、あらためて周りをみると一面の銀世界。
朝食のあと黒磯の街に買出しに出かけ
雪かき用のプラスチック製の大きなスコップを購入した。
昼はひかる君お気に入りのピザ釜でやいたピザとユキのパスタ。
食後はデロンギのエスプレッソマシーンで煎れたカプチーノで締めくくった。
午前中はまだ雲が多く風もあったが午後から天気も回復してきた。
とつぜん仁さんがカマクラを作ろうと言い出した。
子供二人が入って火鉢で餅が焼けるぐらいの大きさのカマクラが目標だ。
デッキに降り積もった雪をメインに土禁デッキに雪を盛り上げ山のような形に
なるように表面をタタキ、最後に子供二人+火鉢スペースの穴を掘る。
男2人+子供2人では結構な重労働であったがどうにか完成した。
夜はきのこ汁をベースに和食を楽しむ。
昨夜が遅かったのとかまくら作りの疲れためになんと7時には全員が寝てしまった。
日曜はみんなでスキーにいく予定である。天気も上々で朝食をすませ8時半に
マウントジーンズに向かいスタートした。30分ちょっとでスキー場に到着。
思ったよりすいていた。
ひかる君は新しいスキーセットでの初挑戦となり
今までより長い板に多少手こづっていたようであったが
帰るころには大分慣れたようである。
たつきもひかる君の新しい板をちょっと借りて滑ったところ
気持ちよく滑れたので今度来るまでにスキーを購入することにした
思えば今の板は保育園時代にかったもので今のタツキの体格からすると
あきらかに小さすぎる。
昼はスキー場内のレストランで食事。テーブルはほぼ満席であったが
背後霊がでるほどは混んではなかった。
ランチのあと我々はもう一度山頂までゴンドラでのぼりスキーを楽しみ
午後1時過ぎにスキー場を後にした。
スーパー池上で買出しをしてイブイブは
チキンとケーキをメインに楽しんだ。そしてこの雪明りの中土星観察に成功したのである。
この日もスキーの疲れのためか7時過ぎには就寝。
那須サイトにくると早寝が習慣になる
翌日は朝風呂などを楽しみ昼前にサイトを出た。


カマクラではしゃぐタツキとヒカル君

2001年12月9日日曜日

スーパードライ浄水器



今回も前回同様、金曜日の夜にサイトに着いた。
前回と違うのは月がほぼ満月に近かったため辺りが結構明るかった事である。
月明かりがこれほど明るいのかと改めて感心してしまう。
青白い月の光で廻りの木立は照らされて影すら落としている。
翌朝は快晴。気温-1度であった。恒例の早朝ウォーキングをする時間であったが
この時期は日が昇るのが遅く、6時半でもなんとなく薄暗い感じである。
辺りはまだ霜が降りていて白っぽくとても寒いのでもう少し日が上ってからということで
7時半にウォーキングをスタートした。
今日はいつものウォーキングコースを逆に歩いてみた。
逆に歩くといつものウォーキングコースが非常に新鮮に感じる。
まったくあたらしい道をあるいているようだ。
ウォーキングから戻り、ピュアにおこした炭でより風味豊かになった
パンとソーセージ、タマゴというリッチな朝食となる。
この時間になると日もかなり昇り、気温もどんどん上昇して着こんでいれば屋外でも気持ちいい。
朝日をサンサンと浴びながら朝食をゆっくり楽しむ。もちろんビール付きで!
ラジオでJwaveを聞いているといつも利用している高速川口線下りでの事故渋滞を報じていた。
いままでの土曜朝スタートなら間違いなくこの渋滞にはまっていただろう。
朝食のあとホワイトガソリンを買うため西那須野にあるWild-1というアウトドアショップにいった。
冬はホームセンターではホワイトガソリンが売ってないのである。
たまにこういった値段は高めだが、品揃えがdime,be-palのような
アウトドア専門店にくると結構楽しい。
あたりまえだがホームセンターなどにはないグッズを扱っている。
今回はホワイトガソリンのほかにカセットボンベが利用できるランプと
マグライト&マグライト用のスタンドを購入した。
その後カインズホームに立ち寄り熱帯魚用のフィルターと竹炭を買い
隣のセルフガソリンスタンドに寄ってからビストロイラブでランチとなった。
タツキはお気に入りのハンバーグ、私とユキはムルギカレーだ。
ランチを堪能したあとスーパー池上で夕食などの買出しをしてサイトに戻った。
実はカインズホームで購入した熱帯魚グッズと竹炭は
サイトの小川の水を浄化するための材料なのである。
川の水を手洗いや食器洗いに利用しているが原水だと落ち葉の粉などのごみが多い。
そこで倉庫に眠っていた大きな蓋付きスチール缶(アサヒスーパードライのロゴ入り)
を浄水器にしてしまおうという企てである。
まず缶の底に小さな穴をあけ、一番底に熱帯魚用の細かいフィルターを敷き
その上に竹炭、その上にまた細かいフィルター、一番上に荒いフィルターを敷き出来上がりである。
このスーパードライロゴ入り簡易浄水器をポリタンクの口の上に置き、上から川の水を入れる。
濾過された水はポリタンクにたまっていった。
ここで勇気をだしてテイステイングをしてみる。
飲用水として利用するつもりはないが
どんな味がするのか好奇心が湧いてきたのだ。
う~んなかなかまろやかな味である。水道水の味とは明らかに違う。
サイトの水は飲水、コーヒー用のミネラルウォーター(購入)と
菊池酒店で汲んでくる水道水(料理用)と
このスーパードライ浄水器で作られた水(手洗い、食器洗い用)の3種類となった。
浄水器を製作したあとログサークルで焚き火をして焼きイモなどを楽しんだ。
夕方になってグリーングリーンでも行こうかを思っていたが
タツキがどうも元気がない。熱を測ってみたら38度以上あったので
グリーングリーンはあきらめ薬を飲ませて寝かした。
夜はキャビンでブイヤベースを堪能し、早めに寝た。
翌朝も逆コースのウォーキングをして朝食を楽しんだ。
タツキの熱がまだ下がらないので薬を飲ませて家路に付いた

2001年12月8日土曜日

那須合宿




散歩するたつき&ひかる

例年タツキは佐藤家のご好意により学校が休みになると葉山合宿をしている。
そこで今回はN@suHouseも完成したのでヒカル君を預かり
那須で合宿となった。
金曜夜にヒカル君を乗せたパジェロが東陽町に到着。
ヒカル君はそのまま東陽町に泊まり土曜早朝
4人で那須に向かった。
8時近くにサイトに到着。かなり冷え込んでいたがまだ周りに雪は見当たらなかった。
ヒカル君とタツキは冬の野原を駆け回る子犬のように遊びはじめた。
昼はユキのパスタとピザ釜で焼いたピザである。
この釜焼きピザにひかる君は大喜びであった。
(こんなおいしいピザは食べたことがないと言っていた。)
昼過ぎはひかる君とたつきを連れて
私が早朝田舎道ウォーキングをする全長約5kmの散歩を楽しんだ。
石ころを蹴りながら歩くだけでも子供にとってはかなり興奮する遊びらしい。
夜は釜で炊いた炊き込み御飯がメニューであった。
翌朝はわずかであったが雪が舞っていた。
初雪である。この舞う雪の中、恒例田舎道ウォーキングをする。
昼は火鉢で焼きおにぎりをつくる。
なんとものどかなゆったりとした休日を那須で過ごすことができた。
昼過ぎにサイトを出発し3時過ぎに東陽町に到着。
ひかる君の両親をすぐに登場して二日間の那須合宿は無事終了した。

2001年12月2日日曜日

土間と火鉢。



絵巻きに登場する火鉢

『枕草子』二十八段
「火をけの火、すびつなどに手のうらうちかへしうちかへし、
おしのべなどしてあぶりをるもの...」
日本は夏蒸し暑く、冬は雪が降るほど寒いと言うかなり温度変化の激しい国で
その、温度変化に対応するために出し入れ自由で持ち運び便利な火鉢が生まれた。
平安時代には土・木・金属の方形、長方形、円形の火鉢が使われたそうだ。 という事で那須サイトでも大昔の日本人が発明した究極のモバイルヒーター「火鉢」を導入した。
円形で黒無地の渋い火鉢である。
この火鉢と瓦土間がとてもいいコンビネーションで気に入った。
火鉢は暖房器具だけでなく調理器具としても非常に楽しいグッズである。
特に餅を焼くにはこれ以上のものはない。
火鉢のそばに腰をおろし暖をとりながら餅をちょこちょことひっくり返し
膨らんでいく様子を楽しむ。
日本人に生まれて良かったと実感できるひとときである。
今回はタツキが学校のある土曜午後1時にスタートした。
アクセスは思っていたより遥かに順調で3時にはスーパーいけがみに到着した。
夕食などの買出しを済ましサイトに向かった。
この時期の那須はひっそりしてしてすっかり葉を落としたサイトは明るくさわやかな印象だ
考えてみると母屋が完成してから家族3人で来たのは初めてであった。
夕食は炊き込み御飯。実は今回は火鉢以外にも和物を持ってきていた。
飯炊き用の釜である。ガスコンロに乗せて使用するタイプであるが
蓋が重く結構本格的な釜だ。
「始めチョロチョロ、なかパッパ、赤子なくとも蓋とるな。」
の教えどおり弱火で炊き、蓋がグズグズを動き出したら強火にして水気を取りそのあとは蒸らす
というごはん炊きの基本を再認識させてくれる一品である。
スイッチひとつで無難に炊きあげ保温する炊飯器とはまったくコンセプトが違う。
那須サイトの基本は非日常を楽しむことである。
便利であるというより楽しむ事が基本なのだ。
翌朝は恒例田舎道ウォーキングを楽しんだあと朝食。
この時期は葉がなく、太陽が低いので土間の奥まで日が射し込むので本当に気持ち良い。
夜のうちに冷え込んだ瓦土間は太陽のエネルギーをどんどん吸収しながら部屋をあたためてくれる。
昼前に昼食&夕食の買出しとガソリン補給のため黒磯まででかける。
昼はパスタ。ゆっくりと初冬の那須を楽しむ。夕食のあと8時ごろサイトを出た。
この時間は道を順調で10時前には東陽町に着いた。

火鉢で餅を焼くタツキ

2001年11月17日土曜日

21時間。

那須サイトを利用するのは原則タツキの学校が休みの土日がらみである。
小学校は毎月第2、4土曜が休みなのでサイトに行けるのは通常は月2回となる。
もっとサイトを楽しむ時間を増やしたい。
母屋が出来てこの気持ちはどんどん膨らんできた。
そこで今回はサイト利用の新しいパターンに兆戦した。
タツキの学校がある土曜日を利用する
ユキと二人で金曜夜9:00東陽町をスタート。(タツキは学校があるので祖母といっしょに留守番)
途中コンビニで朝食等の食材を購入。サイトに11:30到着。
翌朝は田舎道ウォーキングや朝風呂などたのしみゆったりとした時間を過ごす。
昼前にカインズホーム、コジマで掃除道具等を購入。
またスーパー池上で食材購入。(今回はいわしのパスタ)
ランチを楽しんだあと陽光の射し込むお風呂にゆっくりつかる。
そして午後4時前にサイトを出発して6時過ぎに東陽町到着。
トータル21時間である。
せわしないかなと思ったがやってみると意外とゆったりとした時間が楽しめる。
やはり母屋ができたのでサイトの生活時間にゆとりができたからであろう。

このところサイトはかなり冷え込むので
オイルラジエーターヒーターを購入した。
デロンギの1500W仕様である。
1500Wということは100Wの電球が15個分である。
すさまじい電気量だ。
まるでいままでの電気のない生活分を消費してしまうような感じだ。
1日利用すると電気代は約400円となる。
ただ安全性、デザイン、空気がよごれない。においがない
などの理由で母屋のベース暖房として採用した。
またこのオイルラジエーターヒーターは乾燥機としても強力である。
厚手のタオルなども上に掛けておけばすぐに乾いてアツアツとなる。


デロンギのヒーター

2001年11月10日土曜日

屋根で楽しむ。



ルーフキャビンイメージ

屋根に上り木漏れ日を体いっぱいに浴びたり
バードウォッチングや、星空を眺めたりできたら気持ちいいだろうなと
子供のころから漠然とあこがれていた夢が実現しそうである。
屋上ではなく屋根というところがミソである。
普段は上がってはいけない場所に上がるという行為が
好奇心をくすぐられるのであろう。
そんな好奇心に満ちたキャビンが那須サイトに誕生する。
隣地の佐藤家の建築計画(ルーフキャビンプロジェクト)が具体化してきたのである。
小屋といっても12畳のファミリールーム、倉庫、エントランステラスなどがあり
電気、簡易水洗トイレまである本格的なキャビンで、外壁はアルミの角波というハイカラな仕様である。
(今までのランプ小屋とはかなり違うのである。)
そして片流れの屋根は長さ10m以上、幅5m以上あるかなり大きな空間となる。
屋根の勾配は2寸。腰掛けていれば恐怖を感じるような勾配ではない。
むしろ適度な緊張感がここちよいかもしれない。
(ただこの屋根での深酒だけは要注意であろう。)
母屋(nasu-h@use)完成に引き続きルーフキャビン構想が熟す。
21世紀になりサイトはあたかもビックバンのように拡張しているのだ。

今回はちょっとイレギュラーである。
金曜の夜、佐藤家が東陽町までパジェロで迎えに来てくれた。
ユキは残念ながら急用で今回もこれなくなってしまい私とタツキだけの参加となった。
あいにくの雨であったがパジェロの中は観光バス社員旅行のようにビールが振舞われ
運転手以外は非常にご機嫌なドライブとなった。
サイトに到着したのは夜10時近くであった。
先日、井戸水は浄化が不可能ということで見切りをつけ
水道引込を依頼してあったので水栓を捻ると通常の水がでる。
飲める水が出てくるなんてなんて幸せなんだろうと
改めて水の貴重さを痛感した。
だが水の味は薬臭く東京の水と同じようにおいしくはなかった。
夜は佐藤家が持ってきた鮭、イクラなどをつまみに宴会となり
佐藤家のルーフキャビン計画などの話が盛り上がり12時近くに床についた。
翌朝はどうにか雨もあがっていたので恒例の田舎道ウォーキングを楽しんだ。
ウォーキングのあとは待望の朝風呂である。
この気持ちよさは例えようがありません。
朝食のあとみんなでシノダケで箒(ほうき)をつくった。
サイトには刈りっぱなしのシノダケが山ほどあるのでそれを集め
茎の方を適当に何箇所か紐でしばり、穂先は剪定ハサミではきやすいように刈そろえて出来上がりである。
この即席のシノダケ箒がデッキの落ち葉掃きには最高に便利であった
子供たちも自分たちで作った箒で掃除するのは楽しいらしく
競うように落ち葉を掃きまくった。
その後水ロケットで遊んだ。先日TVチャンピオンで水ロケットを特集していたのである。
ひかる君は水ロケットは初体験らしく結構驚いていた。
そして水ロケットの原理で自動車をつくることとなり、
みんなで水ロケットカー作りに興じた。
昼前に工務店の方が来て打合をした。私は工事の精算の打合せという
あまり楽しくない時間であったが佐藤家はルーフキャビンプランの打合せという
非常にクリエイティブが時間となったのである。
その後昼と夜の食事をスーパー池上まで買出しにいき午後は
飲んで食って風呂に入って昼寝するという超極楽状態となった。
夜は最近発売されたスターウォーズエピソード1、ユーガットメイルのDVD鑑賞となり
秋の夜は更けていったのである。
翌日は快晴であったが残念ながら朝早くサイトを出た。
(親族の葬儀にでるためこの日は昼までに名古屋に行かなくてはならなかったのである。)
佐藤家パジェロで那須塩原まで送ってもらい8:51発の新幹線で東京に向かった。

2001年10月27日土曜日

チルドレンズ・ジム



手摺でタイタニックのまね?

まるで子供の体育館状態であった。
たつきを筆頭にひかる君、みなみちゃん、いたるくんの4人で母屋の2Fは占領されてしまったのである。
なんにもない広広とした板の間、階段から続くパイプの手摺、むきだしの梁、ボードの丸い穴など全てが
子供にとっては最高の遊び場になっている。
パイプは格好の遊具になっているし、梁にぶら下がりながらどこまで移動できるか競っている
丸穴からは必ずといっていいほどみんな顔を出す。
ふとんを敷いた板の間はマット運動場と化していた。 今回は金曜日夕方からタツキと二人で那須に向かった。
(授業参観のため有休をとる)
ユキは明日から愛知県に10日間の出張なので不参加である。
途中東北道が工事渋滞のため一般道におりサイトに着いたのは9時すぎとなった。
10時頃佐藤家も到着。眠そうなひかる君であったがタツキとあそび出すと元気を取り戻し
はしゃぎ始めた。佐藤家も完成してから来るのは初めてで
気に入ってくれたようである。その日は1時近くに寝た。
翌朝は恒例田舎道ウォーキングのあと贅沢な朝風呂を楽しんだ。
井戸水の問題は相変わらずで透明な水ではあるが飲用はできなかった。
朝からナポリタン風パスタで満腹となり、ゆったりとした時間を過ごす。
相変わらずたつきとひかる君は二人で仲良く遊んでいる。
デッキではハンモックが人気であった。
伐採せずに残しておいたカシワの木は以前からハンモックに利用していたものである。
ハンモックには距離がちょうどよいのである。
昼過ぎにハセニイたちが登場した。その後みなみちゃん、いたるくんが加わり4人になったちびっこ軍団は
母屋の2Fを占領してしまったのである。
夕方には工務店の方が登場し、打合せをしたやはり井戸水の鉄分等が予想以上に多いため
浄化機での浄化は不可能なようだ。大変困った問題になってしまった。
このままでは給排水管、水栓などにも悪影響を与えそうである
残された道は水道しかないのであろうか!?(かなり残念な結論になりそうである。)
佐藤家のバードハウスの打合せもしてその後みんなで夕食となる。
佐藤家+長谷川家+工務店+守屋家-ユキ=10人の大夕食会である。
メニューは陽子さん&メグちゃんのギョウサがメイン。とてもおいしかった。
10人でもテーブル3台、丸イスでいい感じで楽しむことができた。
土間のダイニングはなかなか快適である。
8時頃に長谷川家と工務店の方が帰りなんとなく静かになった部屋で
佐藤家と晩酌をしたが疲れていたせいかみんな9時頃には寝てしまった。
翌朝も田舎道ウォーキングをしたあと朝食と朝風呂を楽しむ。
天気予報では午前中は晴れの予定であったが空はどんよりとした暗い雲に覆われていてすっきりしていない。
昼前には雨も降り出してきたので早々に退散となった。
帰路はタツキはパジェロに乗ったので私は雨の中ソロドライブとなった。
川口ICでタツキをピックアップし、東陽町に2時すぎに着いた。

2001年10月20日土曜日

「林の中の板場」誕生!



はだかデッキ

母屋がようやく完成しました。
「林の中の板場」をメインテーマにした2F建ての住宅です。
1Fは瓦敷の土間をベースにした空間で
芦野石を積み上げたアイランドキッチンがシンボルです。
光と風を贅沢に味わえるように窓を配置しました。(天窓もあります。)
アイランドキッチンを中心にまるで林の中で料理をみんなで楽しんでいるような
空間にしたいと思いました。
1Fには雪見障子のある和室もあります。
4畳半+αといった広さです。
トイレも洋式の水洗トイレです。(今までの原始的なトイレではありません)
そして足を伸ばしてゆったり入れるお風呂もあります。
朝日に輝く雑木林を見ながら入浴できます。、
また昼下がりは陽光がお湯の中まで差し込みまぶしいくらいです。
このお風呂にはもう一つの楽しみがあります。
「はだかデッキ」です。湯船から直接出られるデッキです。
このデッキにはゆったりとくつろげる背もたれ椅子があります。
長湯をして少しのぼせ気味の体をやわらかい空気で包んであげてください。
2Fは板の間のみです。雑魚寝であれば結構泊まれます。
写真による紹介


今回は両親と親戚のおばさん4人で土曜の早朝那須に向かった。
タツキは学校があるので昼過ぎにユキといっしょに新幹線で那須にくる予定である。
交通量は多めであったが8時過ぎには那須に到着。
外構もほぼ完成していた。
家から持ってきたおにぎりで朝食を簡単に済ませると工務店の方が見えた。
前回からの懸案事項である有馬温泉の打合せである。
改善するために除鉄槽を1基追加しフィルターも設置したらしい。
全部で滅菌装置+除鉄槽2基+フィルターという大規模な装置となった。
はたしてこれで有馬温泉は変化するのであろうか?
しかしお風呂に水を溜めてみたが残念なことにやはり茶色く濁ってしまう。
先週よりは多少薄めであるが透明な水にはなっていない。
その後再度お風呂に水を入れていると今度は透明なきれいな水が溜まった。
使い始めにある程度水を出してから溜めればきれいな水になるらしい。
とりあえず湯船が汚れてしまうのは回避できそうであるが
やはり飲める水ではない。
ということで他の浄化方法を検討しないとこのシステムでは限界のようである。
井戸水の問題はなかなか難しいと痛感した。
昼食の買出しに池上まで行って戻る頃には工事のため取り外していた
ウッドフェンスが設置された。これで浄水器問題を残し工事はすべて完了である。
3時にユキたちが那須塩原の駅に到着するとの連絡が入ったので駅まで迎えに行く。
予定通りユキたちをピックアップして夕食の買出しのためにダイユーによった。
今夜のメニューはブイヤベース。エビ、魚などを仕入れた。
母屋完成のサイトについたユキは非常に喜んでいた。
本当にイメージ以上の出来栄えで大満足である。
夕方透明になったお湯の風呂にゆったりつかる。夕日がさしこんでくる。
少しのぼせた体をはだかデッキで癒す。
至極の時間である。
夜はユキが腕をふるったブイヤベースをみんなで食す。
この時期はさすがに夜は冷え込むが暖をとるには石油ストーブで1つで十分であった。
翌朝は若干曇っていたが家の中は明るく気持ちよかった。
恒例の田舎道ウォーキングを楽しみさらに朝風呂も楽しむ。
やっぱりお風呂があるのは最高である。
午前中は思い思いの時を過ごす。タツキはおばあちゃんとおばさんといっしょに
蔓を採りにでかけた。おばさんは最近蔓細工に凝っているらしい。
サイト周辺はナツフジなどの蔓が豊富に取れる絶好の場所である。
昼はパスタを食し、12時過ぎにはユキたちを駅まで送った。
サイトに戻り1時過ぎに東京に向かう。道路は順調で3時過ぎには東陽町に到着した。

2001年10月13日土曜日

有馬温泉!?



有馬温泉のイメージフォト

井戸水は想像を絶する鉄分を豊富に含む鉱泉らしい。滅菌装置と除鉄タンクを通過しても
風呂に溜めた状態はまさしく有馬温泉のように茶色く濁っている。
鉄がサビたような臭いが漂う。
人間には鉄分が必要である。
鉄分補給の健康ドリンク飲料なども販売されているご時世であるから
この鉄分たっぷり井戸水はさぞかし体によいといいのだが....
やはり「過ぎたる及ばざるがごとし。」の格言どおり
飲むには無理そうである
とりあえず今回はこの有馬温泉風呂を楽しむことにする。 12日の夜東京を出発し、那須に着いた。
翌朝は気持ちのいい天気であった。恒例の田舎町ウォーキングを楽しむ。
今回は由紀ママたちも来て竣工打ち上げを行う予定であるが
工事のほうは若干遅れて外回りのデッキ製作途中であった。
家の中はほぼ出来あがっていたが大きな問題が生じた。
井戸水の水質である。当初から鉄分が多い事は予想されていたが
鉄分の量が予想を上回り水を溜めると茶色くにごり
味も飲めるものではなかった。お風呂にはよさそうだが
お湯を溜めるたびに赤い汚れが浴槽についてしまい掃除が大変である。
浄水機の仕様について再検討が必要である。
工事関係の方が9時前から集まり残工事に取り掛かり始めた。
製作中のデッキは見る見る仕上がって昼前には南側のデッキはほぼ完成した。
東京で手配した冷蔵庫が現場についたので早速取付けた。
ちなみに冷蔵庫は幅が50cm以下でシンクとの関係で左開きが条件であったが
色々なメーカーを調べたがこの条件に合う冷蔵庫は1機種しかなかったのである。(ちなみに日立です)
昼すぎから由紀ママの手料理+菊池誠商店のビアサーバーで打ち上げとなった。
今までお世話になった方々呼び10名ほどの小宴を楽しむ。
私は芦野石を積み上げたアイランドキッチンが非常に気に入った。
夜は由紀ママの手料理と鉄分豊富な有馬温泉のようなお風呂を楽しんだ。
翌朝も快晴。食事のあとゆっくりと那須の秋を楽しみ昼前に由紀ママたちと芦野にある石の美術館にいった。
芦野石の採石場にも寄った。
昼はみんなでビストロ伊良部で昼食。由紀パパはここのムルギカレーが気に入ったようである。
昼食後由紀ママたちは帰路に着いた。
我々はカインズホームとコジマデンキに行った。
コジマデンキではオーブン電子レンジを購入した。
デザインもシンプルでよかったがこれがなんと12000円!
10年前は20万円前後はしていたであろう。
サイトに戻り有馬温泉を楽しむ。
夕日が差し込む風呂はすばらしかった。
夕食もサイトで楽しみ夜9時に東京に向かった。
この時間帯になると道路も空いていて11時には東陽町に着いた。

2001年9月22日土曜日

サイトに架ける橋



サイトに架ける橋。

隣地の佐藤ファミリーの提案により
サイトの中央を流れる川に橋をかけることになった。
佐藤ファミリーの敷地は川により分断されているので
橋をかければ敷地は一体化する。
橋の長さは増水時も考慮すると約4mは必要である。
今までも長さ2mほどの小橋を下流にかけているが
増水時に流されてしまったことがあるのだ。
4mのスパンを飛ばすのは構造的にも難しいので
途中に杉丸太の橋脚を2本設置した。ログサークルであまった
直径30~40cmほどの丸太の利用である。
4mの橋梁部分は腐らないように工事現場にある
アルミの足場板を利用してみた。この足場板の上に木板を張り
完成予定である。写真は丸太の橋脚の上にアルミ足場板をのせ
そこに今まであった小橋を試しにのせたところである。
うまく作ればそれっぽい橋が出来そうだ。
佐藤ファミリーの敷地もシノダケを刈り込み視界が開けたので
この橋が完成すればサイトの活動範囲は一気に広がるのである。

9/22日の早朝東京をスタートした。途中恒例になった大谷PAで朝食となった。
東京はまだ小雨まじりの天気であったが大谷は晴れていた。
大谷PAからサイトに向かう時はまるで青空のキャンパスに描かれたような
筋雲が非常に美しく、秋を知らせてくれた。
サイトには8時半に到着。工事も進み外壁の塗装がしてあった
瓦土間も敷きこまれていていい感じである。
風呂場もほぼ出来上がっていた。真正面に雑木林を眺めることができる。
10時に工務店の方を打合せを始めた頃佐藤ファミリーが登場した。
昼まで打合せをしたのちサイトで佐藤ファミリー持参の
食材でランチとなった。最高の天気である。
こんなにすばらしい天気は年間に何日もないであろう。
しかしこんな幸福な時間を邪魔するやなヤツが現れた。
スズメバチである。キイロスズメバチとさらに大きなオオスズメバチである。
すっかり秋らしくなり彼らも攻撃的になるシーズンである。
ビールや果物の匂いにつられてやってくるようだ。
近くにこられるとさすがに不気味で怖い。
肩をすくめるようにして静かにその場を逃げるしかない。
とビビッていると1匹のスズメバチが飲みかけの缶ビールの口に入り込んだ。
チャンス到来!間髪をいれずに口を塞ぎ缶ビールを揺すってビール攻めにした。
これで羽が濡れすぐには飛び立てないはずである。
そこで缶ビールを逆さまにおき一気に上から踏み潰した。
何回も何回もこれでもかといった具合である。
さすがにスズメバチは缶の中でご臨終のはずだ。
缶は見事につぶされていたのでそれを確認することは出来なかったが...
憎きスズメバチを成敗して気をよくしたところで夕食の買出しにでかけた。
佐藤ファミリーが大きなホットプレートを持ってきていたので
今夜のメニューはお好み焼きと秋の味覚である[七輪さんま]、[きのこ汁]ということになった。
買出し後、グリーングリーンに立ち寄りサイトに5時に戻った。
鈴木誠商店に頼んでいた生ダル10Lもすぐにやってきた。
秋の味覚+10L生ダルパーティとなった。
しかしこの日は恐ろしく冷え込んだ。なんと気温は14度まで下がり
風呂上がりの体には堪えた。
急激な冷え込みのせいかユキがいち早く元気をなくし寝てしまった。
この日は満天の星空となり佐藤ファミリーは赤デッキにテントを張ってその星空のもとで夜を過ごした。
翌朝もすこぶる快晴。な、なんと気温は1度!!
とても9月とは思えない状況であった。
とはいえ夕べの10Lがまだ残っていたので朝からビールとなった。
それにしてもすばらしい天気が続いている。
佐藤ファミリーのサイト進出計画などで話題が盛り上がり、その後近くにあるミニログの
展示場なども視察にいった。
結局帰路についたのは4時になってしまった。
連休中日なので道はさほど混んでいないだろうと甘く考えていたが東北道は栃木ICか大渋滞。
一般道におりて夜10時に家に着いた。

2001年9月8日土曜日

文明開化



キャビンに灯る電球。


サイトに電気がやってきた。
思い起こせばまさしく原始林のように
サイトを覆い尽くしていたシノダケに剪定バサミで挑んでから8年以上がたつ。
当時は那須塩原まで新幹線できてそこからトレン太君でサイトにアプローチしていた。
剪定バサミで根際を刈り込みまだ歩けないタツキの居場所を確保する。
それから周囲に少しづつ開拓地を広げていく。
そんな開拓時代を思い出しながら光り輝くはだか電球を眺めていた。
電球はやけに明るい。60Wの白熱球だが明らかにガソリンランプより明るい
ガソリンランプは黄色っぽい光であるが白熱灯のクリアーな明るさはやはり違う。
スイッチを押すとパッと家の中が明かりに満たされる。
やはり電気は偉大だ。東京電力はエライ!
と思いつつも何か失ってしまうものも感じる。
今までは夕方から夜にかけての微妙でやさしい光りの変化をほの暗いランプに照られた
キャビンの中から眺めていた。そこにはキャビンと外の明るさに繋がりがあった。
しかしこの電気の明るさはいきなりキャビンの中を煌々と照らし
昼間のようにしてしまうため外の暗さをさらに暗いものにしてしまう。
電気を点けた瞬間に外との関係が閉ざされてしまうようでもある。
得るものがあれば失うものもある。 今回も土曜の早朝那須に向かった。8時半にサイトに到着すると
工事の人もほぼ同時に到着して早速作業に取り掛かっていた。
中に入って工事の進捗具合をみていた。
内部も大分、形が出来つつありイメージがはっきりしてきている。
すると自動車が止まる音がした。工事の人がまた来たのかと思っていたが
急に由紀たちがはしゃぐ声がしたので外に出てみると
佐藤家が突然現れていた。
なんと昨晩、幸の湯に泊まったとの事であった。
予期せぬひかる君の登場でタツキは急に元気になったようである。
10時から業者の方と打合せをしてお昼にはみんなで
黒磯に買出しにいき、お昼は定番のラーメン屋にいった。
やはりここの塩ラーメンはうまい!
昼飯の帰りに河川敷のキャンプ場で
みんなで遊んだ。石投げをして何回跳ねるかという古典的な遊びであるが
子供たちも結構をはまっていた。
実はサイトの増築工事に刺激されたらしく隣地の佐藤家も動き出すらしい。
まずは敷地内のシノダケ刈をしてそこにデッキを作る計画である。
さらに予算が許せば小屋も建設したいらしい。
という事でデッキの参考例ということでフォレストヒルに寄った。
ここも佐藤家にはかなり刺激になったようでデッキプランはさらに現実味を帯びてきた。
サイトに戻り佐藤家は今夜の宿である近くのペンションに向かった。
我々は黒磯で購入した延長コンセントと電灯を
キャビンに設置し工事用の仮設電気のケーブルにつなぎ感動的な
点灯となったのである。実は電灯以外にも家からDVDドライブとUSB
スピーカーを持ち込んでいた。キャビンでDVD映画を満喫してしまおうという
企みなのである。
その後守屋家のみでフォレストヒルのレストランで夕食を楽しみ。
夜はなんとDVD鑑賞となった。サイトでDVDを大音響で楽しめるとは...
電気ケーブル1本で生活は激変してしまう。
翌朝は久しぶりに田舎道ウォーキングを楽しみフォレストヒルのレストランで
朝食となった。夜から雨が降っていたがこの時は急に明るくなり朝日が心地よい
贅沢な時間を堪能できた。
サイトに戻り佐藤家と合流し、帰路についた。

DVDを見るタツキ。

2001年8月18日土曜日

三猿



那須の森の三猿


土曜早朝那須に向かった。
今回は仁さんファミリーと仁さん地元友達ファミリーとの
3ファミリーの大集合となった。
仁さんファミリーたちは金曜日から那須に来ていた
サイト近くの那須の森という貸別荘がベースである。
タツキは先週の日曜日から葉山の仁さんファミリーに合宿していたので
我々より一足早く 那須にやってきた。
金曜日は近くの川原で遊んだらしい。
子供はタツキとひかる君、友達の太郎君の3人だ
小学生2,3年男子グループ、まさに3匹の子猿である。
私とユキは土曜の8時頃にサイトに到着した。
工事の方も大分進み、屋根は完成して2Fの床も張り終わっていた。
9時過ぎから業者の方と打ち合わせをした。
アイランドキッチンは芦野石を積み上げて作る予定で
そのデザインなどを詰めた。 10時頃仁さんファミリーがサイトにやってきた。
タツキとは1週間ぶりの再開であるが何となく一回り大きくなったような気がする。
昼前に打合せが終わりみんなで那須の森へ向かった。
那須の森はサファリパークのそばににある貸し別荘地であった。
せせらぎに面した家で2LDKの間取りである。
そして最近では珍しくなった汲取り便所であった。
このトイレは子供たちは初体験だったらしく
かなりセンセーショナルだったようである。
貸し別荘で一休みしてから池上に買出しにいった。
ランチメニューはユキのキーマカレー。ディナーメニューは焼肉となった。
子供たちは貸別荘廻りでクワガタ採りに夢中になった。
タツキがノコギリクワガタを発見して太郎君が木から落として採ったらしい。
結構立派なノコギリクワガタでこれに気を良くした3人はあたりにある木を探し廻った。
カブトムシやクワガタ採りのコツは
昼間コナラやクヌギに蝶や蜂が訪れている場所を探しておいて
夜採るのが一番合理的で確立が高い。
(サイトのクヌギの木でも確認済。詳しくはためしてガッテンのホームページをご覧下さい。 )
そこで食後の散歩を兼ねて子供たちと一緒にクワガタが出そうなコナラ探しとなった。
蝶や蜂に人気のある木は見当たらなかったが怪しげな木は数本チェックした。
夕方みんなで幸の湯にいった。
ここはグリーングリーンの近くにある。
数年前に一度だけいったことがあったが
改修したらしく大分イメージが変わっていた。
結構迫力のある露天の打たせ湯がありなかなか気持ちイイ。
今後はグリーングリーン同様に活用していきたい。
お風呂のあとは貸し別荘に戻りみんなで夕食。
昼間めぼしを付けていた木にクワガタを探しにいったが残念ながら発見するこはできなかった。
夜、私とユキはサイトに戻った。
翌朝、貸し別荘で朝食を楽しみ早めに帰路についた。

2001年8月4日土曜日

三つ巴戦



参戦したミヤマクワガタ

それはカブトムシ、ミヤマクワガタ、オオスズメバチによる三つ巴戦であった。
サイトのクヌギの大木に井戸の掘削のために切られた枝が
このところ昆虫たちに大人気である。
よほどおいしい樹液がでているのであろう。
当然一番おいしい樹液がでている場所の陣取合戦となる。
初めはカブトムシと小振りのミヤマクワガタの戦いであった。
体の大きさではカブトムシがふたまわりほどおおきかったが
ミヤマクワガたは唯一の武器であるクワでカブトムシの横腹を果敢に攻撃した。
カブトムシは始め無視していたがしつこいミヤマクワガタの攻撃に苛立ち反撃した。
ミヤマクワガタのクワを足で押え込み体を廻り込むようにしてミヤマクワガタの
背中にのりあげクワの攻撃をかわすと一気にミヤマクワガタを押し出したのである。
ミヤマクワガタは力の差を感じたのであろうか少し離れた場所に移った。
次に現れたのがオオスズメバチだ! サイトでは以前から夏~秋にかけてスズメバチをみかけるが
小振りのキイロスズメバチであった。
しかし今目の前でミヤマクワガタに攻撃をしかけているのはまぎれもなく
オオスズメバチである。
体長はミヤマクワガタとほぼ同等で4cmはある。
そして頭はあたかも黄色いおおきなヘルメットをかぶっているように見える。
日本に棲息する野性生物で最も恐ろしいのがスズメバチなのだ。
年間の犠牲者の数はマムシやクマなどを抜きダントツトップである。
ちなみにスズメバチの毒が原因で死亡するのではなくその毒に体が過剰反応し
ショック状態に 陥り死亡してしまうらしい。
スズメバチの毒という抗原に対する抗体反応という訳である。
そして抗体の値は刺されるごとに高くなる人が普通だが
高くなってもすぐに下がってしまう人もいるらしい。
また刺された事がないのに始めから高い値の人もいるのである。
この抗体の値が高いほど刺されたときにショック症状がでやすいのである。
みなさんスズメバチを見かけたら静かにその場から立ち去りましょう。
特にこれから秋にむかって攻撃的になるようです。
オオスズメバチはミヤマクワガタと陣地争いを始めたが
この争いは長続きせづお互い 離れてしまった。
カブトムシは意に感せずといった具合であったが三者は微妙な距離を保ちながら
お互いを牽制しているようにも見えた。
今回も土曜日の早朝に東京をスタートしてサイトに7時過ぎに着いた。
着いたとたん朝だというのに雷鳴がとどろき豪雨が降り出した。
夕方ならともかくこんな朝から雷雨とは初めての経験である。
東京は雨不足だというのに那須は本当に雨がよく降るところである。
午前中は工務店の方と現場内で打ち合せをした。
朝の豪雨がウソのように昼前から青空がでてきた。
そして夏の那須とは思えないさわやかな気候になったのである。
打ち合せ後黒磯で昼食と買い出しをしてサイトに戻り
夕方グリーングリーンの手前にある一望閣で入浴した。
今回は3人ということもあり夕食は近くのレストランに行くことにした。
近くにフォレストヒルズというペンション村&ホテルの施設がある。
そのホテルのレストランにトライしたホテル客のみではなく一般客も OK
ということなので7時に予約した。

このホテルとペンション村は
ウオークデッキが木立の中を巡るように
設置されていてなかなかいい感じである。
ユキも気に入ったようだ。
レストランの食事もまあまあである。
朝食も予約をすれば OKということなので
早速8時に予約をいれた。
朝食可能なレストランがこんなに近くにあるとはすばらしい。
翌朝いつものように田舎道ウオーキングのあと
レストランで朝食をゆっくりと楽しんだ。
ちなみに朝食1000円、夕食1800円の合計2800円で
まるでホテルに泊まった気分が味わえたのである。
サイトに戻りカブトムシのたまごさがしとなった。
以前捕まえたカブトムシのカップルがそろそろ産卵していないか
飼育ケースの土を出し調べてみたのである。
するとなんと10個以上のたまごが確認できた
早速別の飼育ケースに土を入れ採集したたまごを埋めた。
この作業にタツキはかなり興奮状態であった。
その後矢板の温泉に入りIC近くで開催していた世界昆虫展によった。
タツキのお気に入りであるヘラクレスオオカブトも実物(標本)が見れたので大喜びである。
そしてあの恐ろしいオオスズバチの標本もそこにはあったのである。

オオスズメバチの標本

2001年7月28日土曜日

感動のライブとピザ釜



羽化する21世紀オニヤンマ
01/7/28
感動的なライブであった。
その生物はサイトのコナラの枝に爪をしっかりとくいこませた
ヤゴの抜け殻にしがみつくようにしていた。
尾はまっすぐ下に向き羽は白く濁った色でたたまれたままであった。
ヤゴから脱け出たばかりのようである。
しばらく見ていると濁った羽が開きはじめた。
そして真横にピンと開ききった。枝にかかる十字架のようにも見える。
真下にまっすぐ伸びた尾の 先から時々水しずくが滴りおちる。
まるで体の中の余分な水分を絞り出しているようである。
じっと見つめる。
しばらくすると羽の濁りが徐々になくなり飴色のように輝く羽に変化した。
羽の内部に葉脈のように描かれた黒いラインが美しい。
黒と黄色の縞模様のコントラストが絶妙である尾の先からまた水が滴り落ちる。
そよ風が体全体を揺さぶる。
1時間ほど経過したころ羽が細かく揺れだした。
まるでエンジンをアイドリングしているようである。
アイドリングをしながら尾の先からは以前として水を絞り出している。
水の生き物から空中の生き物への劇的変化に身震いしているようだ。
アイドリングが続く。
その時突然前足が動き出した。そして頭をくるりと廻すように動かしながら
前足で頭をかきむしるような動作をした。
それが旅立ちの合図であった。
つぎの瞬間木立の中へ飛んで消えていった。 という感激のライブを土曜日の朝サイトに着くなり堪能したのである。
今回は西沢&鯨井の蕨コンビが参加予定だ。
午前中に工務店の方と打合をした。工事は無事、上棟となり
全体のアウトラインがサイトに出現した。
これからが一層楽しみである。
打合せ後ぱくぱくでランチをしてグリーングリーンにいった。
今回はユキが練習を兼ねて911のハンドルを握っている。
久々の運転のためかなり緊張したようであった。
その後スーパーいけがみで買い出しをしてからサイトに向かった。
今夜のメニューはタコマリネ、カツオのタタキ、シラスコそして主役のピザである。
蕨コンビは午後5時前にサイトに到着。
はじめて見る建築現場でプランの概略を説明した。
そしてグットタイミングで菊地誠商店に予約してあった生ビール10Lが到着した。
その夜は上棟を祝って盛大なビール&ピザパーティとなった。
鯨井君提供のピザ釜と七輪で焼いたピザは非常においしかった。
翌朝はシラスコ用の肉でローストビーフを焼き
朝から肉三昧の食事となった。10L生ビールも昨夜のうちに空になったため
朝から菊地誠商店に買出しとなる。
この店は朝7時半~夜9時まで営業しているまさしく便利なコンビニ(よろずや)なのである。
結局朝8時から昼まで飲み食いしてしまった。
昼過ぎにサイトを撤収してから矢板温泉に立ち寄り帰路についた。

ピザ釜と七輪

2001年7月21日土曜日

カブトムシ捕獲大作戦。



サイトのコナラを登る菊地誠商店カブトムシ

今回は関越道から金精峠を超え那須に向かった。
木曜からユキとタツキは中之条にある杉並区の宿泊施設にグランマたちと
行っている。金曜日の朝、迎えにいきそこから那須に向かったためである。
夏休み突入3連休初日だけあって関越道は朝から40km渋滞であった。
寝坊して6時にスタートしたためあえなくこの渋滞にはまり中之条到着は
10時過ぎとなってしまった。
タツキたちはグランマが年間契約で利用している貸し農園の作業で
張りきっていたらしくジャガイモやトウモロコシを山のように収穫した。
中之条から沼田を抜け金精峠に向かう途中、丸沼でランチとなった。
ここは湖畔の景色がすばらしくさほど人間も多くないので
穴場である。ランチはラムの鉄板焼。昔ジンギスカン屋でアルバイトをしていたので
ラム肉の焼き方はちょっとうるさい。まず野菜から焼くのがポイントなのだ。
隣のテーブルはその基本を守れなかったらしく、黒焦げでまずそうだった。
湖畔のランチのあとは那須に向かって金精峠、戦場ヶ原、いろは坂などを気持ち良く走った。
今市市から矢板に抜け那須に到着したのは4時近くである。
サイトには予想しなかった構造物がたち上がっていた。
足場である。
建物の基礎周りに高さ約6mほどの足場がそそり立っていたのである。
自らサルと名乗り、筋肉番付(TV番組)のサスケのファンであるタツキは
この突如現れたサスケセットもどきに狂喜乱舞し、早速登り始めたのである。
つられて上ってしまったが地上6mからの眺めは今まで見なれていた場所が
また違った見え方がしておもしろい。

今回タツキにはどうしてもゲットしたいものがある。メスのカブトムシである。
カブトムシを飼い始めたタツキの次の目標は産卵なのだ
そのためにはメスカブトムシが必須である。
そこでカブトムシの捕獲作戦となった。
ランプのケースを逆さにしてクヌギの木に吊るし
その中に餌を入れておく方法だ。
餌の匂いにつられてケースに入ったカブトムシはケースがすべるため
もうそこから這い上がることはできなくなるというトラップである。
サイトの近くにクヌギ林があるのでそこで2箇所にトラップをしかけ
翌朝確認することとした。
夜は前回行ってタイソウ気にいったカレー屋ぱくぱくにいった。
夏休み突入3連休であって店は超満員。
カレーが出てくるまで1時間もかかってしまった。
チーズケーキとワインは次回に繰越。

翌日早朝さっそくカブトムシトラップを見にいった。
祈るような気持ちでタツキが中を覗き込んだが残念ながら収穫なし。
蟻しか入っていなかった。
タツキはかなり残念な様子。トラップをしかけた木の間違いだったのか?

その後サイトのコナラの木を見上げてユキとタツキが騒ぎだした。
まずクワガタが飛び廻っていたのをユキが見つけ
その動きを追っていくとコナラの木の高いところに着地したのである。
よく見るとクワガタ以外にもオスとメスのカブトムシがそこにいたのだ。
どうにかして採りたいと思ったがかなり高く、登っていくことも出来ないので
どうしたものかと諦めかけていたその時である。なんと木から
メスカブトムシが落ちてきたのである。
棚からボタ餅のごとく落ちてきたメスカブトムシを
すぐに掴み飼育ケースに入れた。
タツキは突然のメスカブトムシゲットに狂喜乱舞状態の大喜びであった。
こうなるとオスカブトムシもいっしょにしてあげたいと思い
サイトにあるパイプをつなぎ合わせて超長い虫取り網をつくった。
まるでTV通販の高枝切りバサミのような形状ではあったが、やや不安定な
ユラユラするパイプを持ち上げカブトムシが止まっている場所まで
どうにかたどり着いたので網の中に入れようとしたとき網に当たったカブトムシが
落ちてきた。
カブトムシは羽があるが木から落ちると途中から飛び立つことはできないようである。
羽を広げようと試みるがそのまえに地面に落ちてしまうようでメスもオスも地面に
落ちた瞬間は広げきれなかった羽をたたもうともがいているようであった。
という事でゲットしたサイト純正カブトムシカップルはタツキの飼育ケースに収まった。
ちなみにケースが狭いので今まで飼っていた
菊地誠商店カブトムシはサイトのコナラに放してあげた。

9時過ぎに建築業者の方と打ち合わせをして
外壁や屋根の色決めをした。
その後、西那須野の展示場でサッシ関係の確認をし、
矢板IC至近の城の湯に立ち寄ってから帰路についた。

足場ではしゃぐ小猿タツキ

2001年7月14日土曜日

アジサイ真っ盛り



サイトの近くに咲く楚々とした紫陽花

紫陽花がきれいである。
那須では梅雨が明けてからもまだまだ紫陽花が盛りである。
夏の那須には紫陽花のイメージある。
やはり那須街道の紫陽花道路の印象が強いからであろうか
または気候にあわせとても長い時期咲きつづける特性のせいだろうか、
道路沿いに植えられた紫陽花はどれも見事な花を咲かせている。
辺りは盛りだというのにサイトに数年前植えた紫陽花には
花が咲いていない。どうしてしまったのであろう。
植えた紫陽花は今年は残念な状態であるが
サイトに自生している紫陽花の仲間は可憐な花を咲かせていた。
ノリウツギである
この樹皮から採れる粘液を和紙を漉くときの糊として利用するそうだ。 今回は金曜の午後4時スタート
やはり都内の渋滞を抜け出すのに一苦労したが
サイトには8時前に到着。イタリア食堂で夕食を楽しんだ。
イタリア食堂に行く途中、菊地誠商店で晩酌用のビールを購入し
なんとその時カブトムシを2匹貰った。
情けないことにタツキはカブトムシがつかめず、あげるよと差し出されても
怖がって後ずさりしてしまうのである。これではいけない。
そこでカブトムシを怖がらなくするためにカブトムシを飼うことにした。
貰ったカブトムシはオスが2匹。とりあえずビニール袋にいれて
もち帰った。...がイタリア食堂での食事のあとのビニール袋を覗くと
1匹しかいない。車内にいるからと探してみたが見当たらなかった。
なかなかスバシッコイ奴で脱出に成功したようである。
サイトに戻り残った1匹のカブトムシを容器に入れる。タツキも大分慣れてきたようで
恐る恐る手を伸ばしてカブトムシをさわることに成功した。
翌朝は田舎道ウォーキングのあと朝からビール付きの朝食を楽しんだ。
増築サイトの工事は順調に進みすでに基礎はたち上がって型枠も外れていた。
中々きれいな仕上がりである。内部は湿気防止のため捨てコン程度を打つ予定であったが
地盤の支持力が不足気味で1m強のコンクリート支持杭を内部に4本つくったので
構造的に鉄筋コンクリートになった。
この当たりの表層は1mほど黒土が堆積しているらしい。
9時からは基礎工事屋さんが現れ4人でもくもくと仕事をこなしていく。
10時過ぎに建設業者の方と打ち合わせをしてその後グリーングリーンに向かう。
ランチは黒磯のラーメン一番屋。カインズホームでカブトムシ用の飼育箱と餌のゼリーを購入した。
サイトに戻ると生コン車が狭い道路に斜めに横たわりコンクリートを流し込んでいる真っ最中であった。
タツキはコンクリート流し込みよりやはりカブトムシに興味があるらしく早速買ってきた
ケースに土と枝と枯葉を入れカブトムシの家づくりを始めた。
夕方から激しい夕立となってしまった。工事の方はコンクリートの養生を手際良くすませ、
デッキの基礎の捨てコン打ちまでやってくれた。これでコンクリート系の工事は
全て終了である。ご苦労様でした。
車で5~6分のところにある「森のカレー屋さん」(ぱくぱく)に初めていった。なかなかおいしく
辛さも好みで選べる。私は激辛にしたがただ辛いだけでなく深みのある味でよかった。
次回はチーズケーキとワインも楽しもうと心に決め、サイトに戻り早めに就寝。
翌朝は炭焼きまるごとトウモロコシを食し帰路についた。

サイトに咲くノリウツギ

2001年6月23日土曜日

地下50mの世界へ。



地下50mの世界へ導くドリルの先端。

井戸を掘った。サイトでは給水管を引き込むことも可能であったが
水道を利用するために払わなければならない加入金がなんと

70万円!!!


もするのだ。かつ毎月の基本料金も4000円ぐらいかかるというのである。
そこで井戸に挑戦することとなった。
費用は加入金や基本料金を考えると同程度であるが
水を自分の土地で自給するという精神はこだわってみたい。
井戸は50m掘ることになった。
地下50mの世界はどんなであろう。
いまここにサンダーバードに登場してくるジェットモグラがあれば
是非たずねてみたいものである。
井戸の業者の話によると地下50mには
火山灰が堆積しているらしい。
井戸を50m掘り十分な水が出たのであるが水質に若干問題があるということ。
鉄分が多いらいしいのである。
通常50m掘れば水質的には十分満足できる地下水がでるらしいのであるが
このあたりは火山灰の堆積層が厚くそれが原因のようである。
鉄分補給の栄養ドリンク剤などがあるので鉄分はなんか体に良さそうであるが
「過ぎたるはおよばざるにごとし」という事で
やはり多すぎると体にもよくないし、水道管や浴槽、シンクなどの水廻りの機器も
当然影響をうけるわけである。
そのため利用可能な水にするためには鉄分を除去するフィルターが必要になってしまった。
水は生活に必須であるが
生活していると汚水も必ずでる。
トイレやキッチン、お風呂などから排水される水は
汚水処理場が整備されている街では
道路に埋まっている汚水管を流れて処理場で処理され
川に放流される。
サイトのように汚水管がない場合は敷地の中に浄化槽という
小型の汚水処理場を設置してそこで汚水をきれいにする。
今回この浄化槽をキャビンの南側に設置した。
きれいになった水は通常は敷地内で浸透されるのであるが
サイトは地下水位が高く自然浸透があまり期待できないという事で
せせらぎに放流することとなった。
浄水した水ではあるがホタルの棲むせせらぎに放流するのは
ちょっと抵抗があったが浄水槽の性能に期待したい。 今回は土曜日の早朝に東京を経ちサイトには8時前に到着した。
工事中なので夜くると足場が悪かったりどこがどうなっているか
わからず危険なので早朝到着プランにしている。
10時に建築業者の方を打合わせをして昼に那須塩原に向かった
今回は久々にフーちゃんが来るのである。
時間通りにフーチャンを迎え黒磯のマンジャーレでランチとなった。
天気はどうにか雨も降らずどんよりとした曇り空だ。
その後あじさいロードをドライブしながらバリ屋に行った。
あじさいは見頃にはまだちょっと早かったようである。
フーチャンもバリ屋は結構気に入ったようだ。
この日は仁さんファミリーも夜から飛び入りで参加する事になった。
仁さんたちは近くの貸し別荘を借りるらしい。
グリーングリーンで入浴の後、仁さんファミリーと合流した。
夕方からあいにく雨が降り出した。
貸別荘は那須サファリパークのそばでキッチンなども充実していたので
そこでみんなで夕食を楽しむことにした。
スーパー池上で買出し。メニューは結構肌寒かったので「おでん」に決定。
調味料、鍋などの資材はサイトから持ち出し結構ゴージャスなディナー
となった。貸し別荘とサイトは車で10分の距離である。
夕食を楽しんでから9時過ぎにタツキを仁さんファミリーにあづけ
我々とフーチャンはサイトに戻った。
サイトに戻ると雨は一時的にあがっていた。
ランプの明かりがほんのりと残るサイトの窓は
なんだか我々の帰りをずっと待っていたようで
愛しく思えてしまう。
すると窓の明かりではなく
もっとほのかな小さい明かりがサイトの廻り飛び交っていた。
ホタルである。このサイトで初めてホタルを発見してから
もう数年たつがホタルは元気のようだ。
下草を伐採したりキャビンを建てり、デッキを作ったりして
生態系には大分影響を与えていると思っていたが
ホタルは生き続けてくれている。ありがたい。
ほんとうにありがたい。
今回キャビンより大きな家を建てる。
井戸を掘ったり、浄水槽を設置したりして
今までより生態系にさらに影響を与えてしまうのは避けられない
来年もこのホタルの淡い光が飛び交ってくれることを願いながら
闇夜の樹林に瞬く光を見つめた。
翌日はあいにくの雨。
仁さんファミリーの貸し別荘で朝食を楽しんでから帰路についた。

設置された浄化槽

2001年6月9日土曜日

鬼ごろしと地鎮祭




伐採予定樹木に鬼ごろしを献上。

今回は土曜朝8時にサイトに到着した。
東京を朝5時半にスタートしたがこの季節は朝4時半から明るい。
今日は10時半に工務店の方と現場立会い、位置確認などをする予定である。
朝はOn the wayで購入した朝食をサイトで楽しみ建築予定地などを確認しながら
打合せの準備をした。
予定通り工務店の方がサイトに到着。
今日は現場代理人の方とも会い位置、工程の打合せをした。
来週から伐採を行い井戸掘削、浄化槽設置、倉庫移動、基礎工事....という段取りで
進めていくこととなった。 打ち合せ後、黒磯で昼食、買出しをしてサイトに戻った。
いよいよ来週早々から伐採という事なので自分たちだけで地鎮祭を行うことにした。
地鎮祭とは「建物を建てる時、地の神様が怒らないようになだめる行事。」
らしいと自分で勝手に解釈している。建物を建てるために環境(植生)を
破壊してしまうことはやはり人間のわがままなのだろう。
しかし1本の植物も伐採せず自然林に建物を建てるのは不可能に近い。
建築物を建てる以上植生は犠牲にならざるえないのが現状である。
だとすれば伐採せざるを得ない樹木には私どものわがままをお許しください
(できるだけ伐採がすくないプランを追求したつもりであるが)
という意味合も込めて許しを乞う事が必然であると思う。
という理屈のもと伐採予定樹木に日本酒を捧げ許しを乞いたのである。
またサイトの大きな岩を「地の神様」ということにしてそこにも酒をたっぷりそそいだ。
地の神様が酔っ払って何だが分からない内に着工してしまおう。という作戦である。
これで地の神がほんとうに鎮まるかはちょっと疑問であるが
「何にもしないよりいいだろう!」
という事で決行した。
ちなみに鎮めるために献上した酒は地元酒の一つである十一正宗の「鬼ごろし」という日本酒である。
地の神を鎮めるならこのくらいのネーミングの酒のほうが効き目がありそうである。
我流地鎮祭を強行してからひさびさにグリーングリーンにいった。
夜はイタリア食堂でゆっくり食事をして早めに床についた。
翌日は朝からあいにくの雨であった。今回は東京で昼から予定があったので
朝食もとらずに8時に雨がお神酒を流しきる前に帰路についた。

2001年5月19日土曜日

カエルガーデン



カエルガーデン

今回は変則パターンで由紀と二人でサイトに来た。
というのは今回の訪那はまずサイトの建築工事の契約、
さらに納屋の整理、そして決して人任せに出来ない着工前に
伐採されては困る植物を移植するためである。
タツキは学校があるので東京で留守番である。 金曜の夜サイトに到着し翌朝はお気に入りの早朝ウォーキングの時間も惜しんで
移植と移動する納屋の荷物整理を始めた。
納屋の整理は順調に進んだが移植は結構手間取った。
ゲートに植えたヨーロッパゴールドやニシキギ、ガマズミ、アジサイや
山野草ファンには生唾もののマムシグサや那須サイトの誇り、タラノキなど
移植しなければならない植物は結構な数になる。
9時から黒磯にある建築会社で契約の予定なので残りは契約のあとに・・・
約束の時間に会社に到着して無事契約調印。
雑談で那須岳がもし噴火したらという話になったが
そこの社長の理論では爆発しても溶岩は裏にながれるから那須は大丈夫である
と太鼓判をおしていた。
さすが社長になる人物の自信に満ちた思い込み言動には恐れ入る。
契約後サイトに戻り移植の続きを行なった。
キヌタソウ、マムシグサやタラノキもせせらぎのそばに移植し、
バリ屋で購入したカエルの石像を番犬ならぬ「番蛙」として置いた。
ちなみに欧米ではカエルは庭の神様として偶像化されている。
たぶん害虫をエサにするからであろう。
予定していた移植をものすごいスピードで終え、2時すぎに帰路についたが
途中の高速で予想外のすさまじい豪雨に遭遇した。
さいわい無事であったが東北道が雨で川のようになってしまったのは
まったく初めての経験であった。
走行車両はみな文字通りそろりそろり非常灯をピコピコさせてかろうじて動いた。
車内で「ハイドロプレーン現象」は禁句であったことはいうまでもない。

2001年5月12日土曜日

ギョ!マムシだらけ?



マムシグサ

マムシといっても毒蛇のマムシではなく植物のマムシグサの事である。
マムシグサは以前からサイトに自生していたが1株のみで他には見当たらなかった
それがなぜか今年は6株ほど出現し、その特徴的な花を咲かせていた。
茎の模様がマムシの模様に似ているためマムシグサを呼ばれているようであるが
別に花に毒があるわけではない。
花が終わると大仏の頭みたいな形の真っ赤な実がなる
これも花と同様かなり特徴的である。 今回も定番の金曜夜スタートとなった。
夜8時東陽町発でサイトには10時半に到着した。
翌朝は快晴。田舎道ウォーキングを楽しみ。朝食をとる。
このところ天気には非常に恵まれている。
土禁デッキにゴロンと寝転び空を見上げる。
コナラ、クヌギ、クワ、カシワ、クリの若葉が一斉に芽吹きだし
朝日に照らせれた淡い緑色が雲ひとつない青空に溶け出すような
すばらしい絵柄となっていた。
ウグイスはまるでエンドレスのBGMのように
途絶えるころなくいたるところでさえずり合っている。
10時前にサイト増築プランのため建築業者の方と打合せをした。
プランも大分かたまってきたので今月中には契約となりそうである。
昼近くまで打合せをしてから久々にビストロイラブでランチとなった。
ところがいつになくたつきに元気がない。
朝から咽が痛いといっていたがどうやら風邪をひいたらしい。
たつきの大好物であるハンバーグステーキもいつもならペロリと
たいらげていしまうのだが今日は残してしまった。
その後カインズホームで植木鉢を購入した。
別に花を植えるためではない。
以前作成したスーパードライ浄水器の中が錆びてしまい
浄水器として使いものにならなくなってしまったので
今度は錆びない素焼の植木鉢を利用しようと思ったためである。
下に穴も開いているので都合が良さそうである。
そのあとダイユーにより夕食の買出し。
たつきの風邪薬も買いその場で薬を飲ませサイトに戻った。
植木鉢浄水器は思った以上にうまく出来た。
これでしばらくは川の水を中水として利用できそうである。
薬が効いてきたのかたつきも少し元気になってきた。
子どもの回復力は驚異的である。
特にたつきは2年間で小学校を休んだのはわずか1日なのだ。
夜は鰹のたたきである。サイト初挑戦のメニューだ。
七輪の炭火が若いうちにさっとあぶるように焼きしょうがとたれで食す。
うまい!。こんなにおいしいなら毎回やりろう。
炭火がおちついたところで焼はまぐりなどを楽しんだ。
翌朝は朝食ハイキングにトライした。
那須岳のふもとの八幡あたりのつつじをみながらの朝食である。
朝早いため他の観光客はいないのでこの風景を独占状態である。
しかし残念ながらつつじの見ごろには少し早すぎたようであった。
きっと来週あたりが最高の見頃になるであろう。
朝食ハイキングのあとはサイトまでワインディングロードのドライブを楽しみ
サイトに戻り後片付けをして帰路に着いた。

新緑がとけだしそうな青空

2001年4月28日土曜日

お座敷てんぷら。

定番パターンになった金曜スタートでサイトに向かった。
天気は上場である。サイトに着いたのは夜11時頃で
その日はすぐに就寝。
翌朝田舎道ウォーキング
最高の天候に恵まれ21世紀のゴールデンウィークはスタートした。
10時にサイト増築計画の打合せを工務店の方とした。
その時那須町で採れる石の情報を聞いたので午後早速見に行くことにした。

石の名前は芦野石。
那須町の芦野というところで採れる安山岩で白河石とほぼ同じである。
その芦野石と白河石でつくられた芦野石の美術館というものが那須町にある。
この美術館がすばらしかった。
古い石倉と新しく築いた石の建造物、池で構成される空間の調和は
ただただ関心するのみである
すっかり芦野石にはまってしまった我々はそのあと芦野石の採石現場を確認し
サイト増築計画に芦野石を取り込むことを決意した。
サイトに一度もどりグリーングリーンで入浴してからスーパー池上で
夕飯の材料を買い込んだ。今夜はシラスコである。
実はNHKの番組「ためしてガッテン」で紹介されていた
アウトドア料理を実践してみようと思ったのである。
カルビ塊肉800gを炭火で焼きながら削いで食したのであるが
これが七輪炭焼きに最高、絶品、もう大変というぐらいうまかった。
シラスコそのものはブラジル料理であるが炭焼きアウトドアクッキングにマンムキ
(非常に合っているの意味)である。
さすが国民から強引に視聴料をとっているNHKである。
食べきれなかった肉はアルミホイールに包んでおけば
余熱でローストビーフの出来上がりとなる。
翌日(日曜)は9時過ぎに久々西沢氏が登場するとの事で
那須塩原に迎えに行った。
定刻通りに西沢氏登場。池上で買出しのあと
グリーングリーンでくつろぎ昼過ぎにはサイトに戻った
本日のメインイベントは昼間からお座敷てんぷらなのだ。
サイトにはとっても贅沢なお座敷がある。
土禁デッキである。
この時期は壁の代わりに若葉が辺りを包み込み、ウグイスの泣き声がBGMとなる。
久々に囲炉裏風テーブルを倉庫から出し土禁デッキに設置した。
中央にはカセットコンロにラ.クルセールの使い込んだホーロー鍋を置き
ごま油を少量加えたてんぷら油を熱する。
食材はもちろん野菜、山菜類である。
とくにこのサイトで採れるタラノメは必須アイテムだ。
残念というか憎たらしいというか近年このタラノメがやたらと盗まれる。
今年も目立つところのタラノメはもうすでに取られていた。
どうにか難を逃れた7~8芽を採取しお座敷てんぷらのスタートである。
冷たい水でといたてんぷら粉を山菜にまぶし
適温の油に落とす。
心地よい音とともにいったん沈んだ食材が浮かび上がる。
そこをさっと救い上げ油切の紙の上に置き
なまら塩(ちかくのそば屋で売っている塩)でアツアツを食す。
サクッという日本人にうまれてよかったと思う触感のあと
素材のうまさを10000%引き出したようなうまみが口の中に溢れ出す。
うまい!うまい!うまい!
言葉には表現できないこのうまさ。
てんぷらといえば一番うまいのはえび天だと思い込んでいる奴は
本当にかわいそうなまずしい輩である。
山菜てんぷらを若葉の中で食す。
あまりのうまさに舌鼓をうつ。
と同時にうぐいすがホーホケキョなどと相槌をうつ。
あ~改めて日本人に生まれてよかったと痛感する一瞬なのである。
日本人の幸福感を満喫したあと腹ごなしに近くの牧草地で
水ロケット遊びをした。西沢氏は初参加である。
私たちはまだ一度も成功していない2段ロケットにトライした。
空気を入れている途中で2段目が発射してしまうのがいままでのパターンであった。
しかし、この日は十分空気が入るまで2段目は発射しなかった。
カウントダウンを始めると何時の間にか沿道には車が4~5台こちらを眺めていた。
ゼロ!の合図をともに1段目のロケットのノズルキャップを引きおろすと
2段ロケットは見事に発射した。そして1段目が水を全部吐き出す前に
2段目が噴射。2段目は空高く舞い上がったのである。
予想もしなかった大成功。
沿道の車からも祝福をしてもらった。
こんなにいうまくいくとは?きつねにつままれた思いである。
よしこの調子でドンドン飛ばそう!とその後も何回もトライしたが
結局うまく飛んだのは一番始めの一回のみであった。
夜は昨日のシラスコが大変おいしかったので西沢氏にも是非食していただこうと
ということで連日シラスコということになった。
このメニューは那須サイトの定番になりそうである。
翌朝は6時起床。ユキが用事があったので朝食もとらずに
サイト撤収。西沢氏を朝7時30分に那須塩原で見送り帰路についた。

芦野石の美術館

2001年4月14日土曜日

ハイシーズンど真ん中。


01/04/14



やあ~ほんとにすばらしい季節である。
新緑の候、
木々の若芽が膨らみ始め
朝は5時を過ぎると明るくなり
爽快な朝の空気を思う存分楽しめる 刺す虫もいない。
うぐいすも鳴き方の練習をしているようだ。
ホーホケキョときれいに鳴くにはまだちょっと時間がかかりそうである。
スキーシーズンは終わったがゴールデンウイークはまだ先。
那須エリアはひっそりとしている。
朝晩はちょっと肌寒いがずいぶんと過ごしやすくなった。
まさにサイトの(one of the)ベストシーズンである。
いままでも何度も報告しているが那須のベストシーズンは決して夏ではない。
むしろ夏は最悪のシーズンに近い。連日の夕立と蒸し暑さそして害虫・・・
できれば避けたいシーズンなのだ。
金曜に半休をとりサイトに向かった。
金曜午後の割には都内はたいした渋滞もなく東北道にアクセスして
明るいうちにサイトに着くことができた。
SETSの設置やランプの準備などをしてから最近のお気に入りである
「イタリア食堂」に向かいタンシチューやステーキ、ボロネーゼなどを食した。
翌朝は久々の田舎道ウォーキングを楽しむ。
天気は最高。小鳥のさえずりのなか至極の朝食である。
今日は9時からサイト増築計画の打合せのため設計の方がサイトにやってくる予定である。
まだ少し時間があるなと思い朝からビールを飲んで気持ちよくなってた頃登場した。
朝の気持ちい日差しの中デッキにテーブルを出し打合せをした。
増築プランの特徴は
1)玄関なしの瓦土間
2)大谷石のアイランドキッチンを中心にした吹き抜けのダイニング
3)大きなデッキとゲートストーン
4)風呂場とつながるはだかデッキなどである。
これから予算をつめなければならないがプランはだいぶ固まってきた。
打合せのあとはカインズホームにて2段ベット用ラダーなどを調達した。
昼食は久々のビストロ伊良部で食べた。
今回は初めてステーキ丼を注文した。
この店の名物なのだがなぜが今まで頼んだことがなかったのだ。
絶品である。複雑にうまい!バターの風味と肉、ご飯のバランスが絶妙だ。
ただひとつの欠点はコンスタントに食べたら絶対に太りそうであるという点である。
食後は毎度のグリーングリーンで湯っくりするつもりであったが
ユキが風邪気味で体調がわるいので取りやめにした。
おかげでサイトでゆっくりと午後の時間を楽しめた。
ログサークルの杉丸太の皮を剥ぎ取り
タツキと焚き火をした。杉皮は着火剤のようによく燃えるのである。
夜はユキがうどんかそばなら食べられそうということだたので
そばや探しとなった。近くの十割そばは休み(最近やたら準備中である)
仕方なく久々に那須街道に向かった。「山ぼうし」なるうどん屋を発見、そこで
夕食となった。結構うまく、さっぱり柚子うどんやフライ定食もボリュームがあり
那須街道にしては値段も安くこれからも使えそうである。
病人がいるので夜は早めに寝た。
翌日も天気がよく最高の那須日和であった。田舎道ウォーキングを逆コースで楽しみ
充実の朝食&朝ビールで大満足の朝を満喫してから
昨夜行きそびれたグリーングリーンに立ち寄り帰路についたのである。

増築サイトイメージスケッチ。

2001年3月24日土曜日

"どま"と"まど"



前回から頭の中で那須サイト増築計画が廻り続けている。
休日にスチレンボードで3D模型製作にいそしみ、立体描写に
結構はまりまくりである。
キッチン周りのデザイン収集に青山や新宿のショールーム荒らしを一通りこなし、
今回は万全の体制で24日に西那須野のモデルハウスで設計の打合せの予定である。

このところ穏やかな暖かい日が続き、那須サイトにおけるベストシーズンの幕開けだ。
ちなみに、3月中旬から梅雨入り頃までの3ヶ月、少しあけ、9月中旬から12月中ごろまでの
3ヶ月のあわせて約半年間がサイトのベストシーズンである。よって、逆に一般ピープルが
喜び勇んで那須へ避暑などに向かわれるシーズンは混むし、蒸すし、虫も多い、
夕立も多しで、あまりお薦めではない。

仕事の都合をつけて金曜日の午後からサイトに向かった。
暗くなる前にサイトに到着し、簡単な買出し(必要最小限ビールとタツキのパン)後、
スーパーいけがみ近くにある「イタリア食堂」というレストランで夕食を試みた。
さまざまな意味で緊張する「初めての」店であったが結構おいしく、
特にユキが「お袋の味チック」と、気に入っていたようだ。
その後、夜は深夜まで(那須においては極めて宵っ張り)プランについて議論した。

翌朝は快晴。久々に田舎道ウォーキングを楽しみデッキと朝食となる。
10時から設計の方と打合せでプランの提案もしていただけるので楽しみである。
守屋家におけるこだわりは雑木林と大きな岩とキャビンと家の関係。
特にリビング、ダイニングキッチンは外の樹木、岩を感じていたい。
そこで大きなデッキを岩を囲むように張りださせ、そのデッキとリビング、
ダイニングキッチンの境は掃き出しの大窓で全体の一体感を持たせた。
またアイランドキッチンを設置し調理をみんなで楽しむ「板場」な空間なども盛り込んだ。

模型まで作成して打ち合わせる人はあまりいないだろうなと思いながら
約束の時間に打合せ場所である西那須野のモデルハウスに向かった。
こちらのイメージを模型を使って一通り説明してから
設計の方の意見を伺ったら想像もしなかった提案をしていただいたのである。

土間である。

LDK全部土間なのである。
私の案はLDKは一般的なフローリングで同じイメージのデッキが外に張り出すデザインであった。
視覚的には一体感がある。
でもこのかたちだとデッキに出るときどうしてもサンダルなどを履きたくなるので
使い勝手の面から考えると一体化しているとは言いがたい。
LDKが土間と掃き出しの大窓で構成されれば真の意味でデッキと一体となり
外部との精神的な垣根が低くなるのではないだろうか。
"土間"と"窓"のコンビネーションである。
また中途半端な玄関という空間が必要なくなるため限られたスペースが有効に利用できる。
一般住宅であれば敬遠されがちな土間であるが
サイトのような使い方であれば非常に有効なのではないだろうか。
実は設計の方はこの「那須サイトレポート」にも目を通していただいており
生活のイメージから土間を提案してくれたようである。
さすがプロ。である。 土間の材料は瓦材ということなので汚れはあまり目立たないのだが
汚れが気になるのも事実である。
特にサイトのまわりは土なので雨が降れば靴は泥だらけとなる。
そこで今サイトで活用しているビニールサンダル(通称便所下駄)風な今後は改め、
「土間下駄」利用を考えた。靴が汚れているときや、靴を履いているのがうっとうしい時は
ドマゲタに履き替えればOKである。ドマゲタ選びも結構も楽しめそうなプロジェクトである。
しかし楽しい話ばかりではなかった。
現実世界にいきなり引き戻されるように見積書が提出された。
が~ん!というか予想していたといおうか予算オ~バ~。
これからは資金調達がメインテーマになってしまいそうである。
ともあれ土間プランという楽しげなプランで進めていきたいと思う。
2時間ほど打合せをしたあと黒磯の天下一番ラーメンで昼食(実はここはとてもうまい!)
カインズホームで燃料、飲料水など基本アイテムを調達をしてサイトに戻った。
天気は快晴。2週間前がうそのような春うららかな陽気でまさに那須ベストシーズンである。
その後グリーングリーンでくつろぎ、いけがみで食材の調達。
この夜はサイトで豚しゃぶと揚げぎょうざである。これがシンプルで結構うまい。

提案された土間プランに思いをめぐらせながらサイトの夜はふけていった。

1LDK平屋15坪+デッキ案に基づき作成した模型。

シノダケの白い花?


話は那須サイトの先史時代にさかのぼる。
サイト全体はシノダケでおおいつくされ
人は中に入ることができなかった。
このままではシノダケ帝国がますます繁栄してしまう。
何とかシノダケ帝国に攻撃をしかけなければ
手遅れになってしまうのだ。
われわれ反乱軍はラウンドアップによる
一斉攻撃をしかけることになったのである。
ラウンドアップは雨に弱い。
あいにく総攻撃中に雨が降り出し、攻撃はあえなく中止。
予定の10%程度しか散布できなかった。
しかし反乱軍は屈服せず、その後手作業で
コンスタントに開拓をすすめ、数年のうちに
反乱軍のミニ基地(那須サイト)が設営できる今に至る。

先史時代の反乱軍メンバーであり那須サイトの隣人である
佐藤ファミリーが6年ぶりに当地を訪れることになった。
明日から4月だというのにこの日は東京でもみぞれが降るほど冷え込んでいた。
私たちは金曜日の夜からサイトに来ていたので土曜日はゆっくりと朝食を楽しみ
隣人の到着を待っていた。サイトは朝から雪が降ったりやんだりの状態で
今では遠景になったシノダケの葉にうっすらと雪がつもり窓からの景色は
あたかもシノダケに白い花が
一面に咲き乱れたような状態である。
シノダケもほんとうにこんなにきれいな花が咲けばどんなにすばらしいだろう
などどつい思ってしまう。

佐藤家は天候のため到着は昼過ぎの模様、よって私たちは近くの
チャイネで餃子を食しカインズホームで調達をし、サイトに戻った。
サイト前にはすでに隣人達を乗せたパジェロがとまっていた。
さっそくキャビンでビールを飲み交わしながら6年ぶりの登場を祝した。
隣人は開拓に驚き、喜び、さらに
陽子さんはキャビンが大変気に入ったらしく、たまたま持ってきていた
ログキャビンのちらしを見せると隅から隅まで食い入るように見つめていた。
最近は40~50万でここと似たようなキャビンが手に入るようである。
イメージが膨らむ、膨らむ・・・

全員でスーパーいけがみへ食材の買出し、さらに板室温泉に向かった。
グリーングリーン初体験の隣人はここもタイソウ気に入ったようだ。
サイトに戻りランプに火をともし夕食の準備にかかった。
七輪焼き&いものこ汁というメニューである。
雪は止み、星が瞬きだし、あたりはすっかり「極寒」うっすら白いサイト。
気温はブルブル0度。が、夜空を楽しみつつ、6年ぶりにサイトに来た
隣人ファミリーは防寒着を着込み、アウトドアディナーとなった。
タツキとひかるくんはすっかり暗くなったサイトで懐中電灯を照らしながら
スコップでおとし穴を掘りまくってはしゃいでいた。
満天の星空のもと佐藤ファミリー6年ぶりの那須サイトの夜がふけていった。


先史時代の反乱軍メンバー

2001年3月11日日曜日

おもしろい、もったいない。



「ランプ小屋の生活も十分楽しんだし、そろそろ家でも建てたいね。」
という一言から那須サイトの21世紀がスタートした。

マンションや建売住宅などが一般化している時代に自分でプランを作成して
家を建てるというのはなんとも贅沢?いや、高めの買い物なので、とことん
こだわるのは当たり前・・・
敷地にあるさまざまな条件をできる限り活かし、サイトをさらに楽しむための
家をつくりたい。(先立つ物が当然必要であるがその辺はどうにかなるさの
ノーテンキぶりである)ということで3月10日(土)の早朝那須に向かった。

なんとなくイメージしていた住宅は丸太ログ風ではなく今のキャビンのような
角ログのキットハウスやスエーデンハウスのような板張住宅であった。東北道
矢板ICから4号線を北上しながら住宅展示場やモデル住宅を探していたら
西那須野の付近で、このあたりに気になるモデル住宅があったとユキが思い出し
そこによってみることにした。その気になるモデルハウスは10時オープンとの
ことでまだ多少時間がありかなりゆっくりと外観をチェックすることができた。
結構かっこいい家である。太陽熱を利用したシステムが組み込まれているらしい。
予定どおり10時にオープンしたので中に入ってみた。
合板と集成材の柱をそのまま見せるデザインであった。

サイトの夏は湿気がすごいので内装にクロスなどを使用しているとあっというまに
カビで黒くなってしまうのでこのクロスなしの合板剥き出しデザインは好感が持てた。
太陽熱のシステムは外気を屋根裏から取り込み屋根に張ってあるガラス板で
その空気をあたためそれをダクトとファンで床下に送り込み各部屋に設置された
床の吹き出し口からあたためられた空気を送りこむものであった。
夏の夜はあたたかい外気が屋根裏を通過する際、放射冷却作用でやや温度が下がり
その空気を床下から送るというシステムである。
またダクトに空気を送り込むためのファンを常時動作させることで
屋根下から外気を取り込んだ部屋の換気ができるため別荘などの湿気に対して
非常に有効であるという点が一番気に入った。

同仕様の住宅がたまたま至近にできたて展示発表会を行っているということなので
チェックしてみた。一通り見学させてもらい設計の方とお話をすることができた。
そこで合板、集成材の柱、太陽熱のシステム等を取り入れて1LDKロフト付
平屋住宅(15坪程度)という条件で概算見積だけでもお願いしたいと申しでた。

さっそく現場を見たい、とのこともあり、その場からその設計の方と一緒に
サイトに向かったのである。サイトのキャビンにご案内すると6畳一間ライフに
興味を持っていただいたらしく小さな家の美学についての話に盛り上がり、家を
建てるプロジェクトが妙に現実味を帯びてきた。

その午後はグリーングリーンでゆっくりしたあとノビローでディナーを楽しんだ。
ノビローのマスターは昨年購入したニュービートルに愛想をつかし、フォードの
Kaがちょこんとガレージに収まっていた。この車はマニュアル車しかない
いまどき珍しい車なのである。アクセルをめいっぱい踏んで楽しめるといって
マスターはなかなかご満悦であった。

夜キャビンではオイルランプのあかりのもと設計の方からいただいた建築雑誌や
プランのルールブックなどを眺めているうちにどんどん引き込まれていく。
基本計画は是非自分でやってみたいものだ。翌日はディテールなどの再チェック
のためもう一度西那須野のモデルハウスに立ち寄り帰路についた。 ちなみにこの太陽熱のシステムは[OMソーラーシステム]というらしく
OMは「おもしろい、もったいない」の頭文字だそうだ。